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箱庭の森

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薔薇と猫にかこまれ、絵や人形を童話のように創作する日々

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③意識がはっきりして状況を把握するまで

1月4日
横浜市立市民病院への転院眼球に動きが無く握る強さから脳幹に影響と診断。
ミオクローヌス不随意運動(複数の筋肉群が同時に素早く収縮する自分の意志とは無関係な運動を起こす。てんかん発作症候の一つ。しゃっくりも同じ。)
ルンバール(腰椎穿刺)検査
両腕を上げる検査では左が弱い。
深部腱反射消失(脚気を見るときのゴムハンマーで叩くが反応なし)
身体抑制(不随意運動による転落や点滴・カテーテルを抜いてしまわないように防止)腰に安全ベルト・ミトン型手袋
酸素吸入
点滴注射
鼻腔栄養
ビッカースタッフ型脳幹脳炎の診断。(生命中枢である脳幹を主座としておこる 炎症性自己免疫疾患・指定難病)
※先生も30年医師をしていて初めて担当、教科書でしか見ない病気とのこと。
検査の後HCUへ移動。《high care unit》高度治療室
単語で喋るが意識はない。
「横向きたい、首、下」自分で枕を引き抜く。
「痰、とって」
「咽喉、渇いた」水が飲めないため脱脂綿を湿らせたものを口にあてる。

1月5日
弾性ストッキング・間欠的空気圧迫法(肺血栓塞症防止のため)
不随意運動無し
リハビリが始まる
※この日のリハビリは記憶にない。
※文章ではなく単語で話していたらしい。
まだ意識が朦朧としていて現実か夢なのか分かっていない状況ですが、単語で会話が出来るようになる。
「喉、渇いた」嚥下障害で水が気管から肺の方へ流れ込み、誤嚥性肺炎を起こす恐れがあるため口から飲めない
「水、欲しい」
「拭いて、ティッシュ、目のまわり」まだ全く目は見えていない。
「首、上げて、枕」
首の上下の安定を気にする。
 ※首が座っていないのと平衡感覚がつかめなくなっているので枕があると不安定な感覚になる。
 ※いつも左側を向いて寝るので自分の手を枕にする。自分の手だと安定(安心)する。
 ※頭側の方にずり落ちそうな感覚が20日位まで続く。
病気を説明されて「わかった、頑張る」「本当?」
 ※この辺りからぼんやりと数分間記憶がある。
飼い猫(コペルとノア)の話をすると笑顔の表情を作る。
ノアが主人の膝に乗る様になった。「寂しい×××」(呂律が回らない)
 ※ノアは甘えん坊なので私が居なくなったので寂しくて主人の膝に乗ったと思うと伝えたかった。
「会社、行って」夢か現実かはっきりしなくても一番気にしている事。
「寂しくない?」と聞かれて首を横に振る。
この日は母と妹が来てくれた記憶はない。(5日~7日の面会時間)
妹と母は私を見てもはじめ別人だと思って他のベッドを探したそうです。
微動だにせず、目は開けているけれど置物のようで生きているとは思わなかったらしい。

1月6日
HCUからリカバリールームへ移動。
看護師さんに名前と場所、日付を聞かれるが間違って答えている。
リハビリの記憶は無し。
まだ意識はぼんやり。
午後から父・母・妹が来てくれる。
「良かった、良かった」と言っている言葉が聞こえて、自分が助かったことを知って安心する。
 ※この言葉が後に前向きな思考になりました!
「暑い、冷房つけて」
 ※身体がとても熱い。(熱は36度後半~37度前半)
 ※不随意運動でベッド柵に打ち付けないよう四隅をフエルトで覆っているのと、マットとシーツの下に尿漏れ防止のビニールシートが敷いてあるので熱がこもる。血栓防止の弾性ストッキングで足が熱い。 ※看護師の方がマットを多用して向きを変えてくれるのですが、首が座っていないので頭が痛い。(凄く痛がっていたらしい)
 ※平衡感覚がつかめないのでベッドの昇降も分からない。
 ※腰に安全ベルトでベッドに固定されているので自分で向きがかえられないし、手にはミトンや管で繋がれているのでフトンも着られないしナースコールも押せない。
とにかく死にそうなほど喉が渇いている。(水は飲めないのでスポンジで湿らす)
 ※この頃は町や人が渇いて砂漠になっていくような夢を見ていた。
母と妹にうちわであおいでもらったり、アイスノンを足元に置いてもらった。
 ※この日の記憶もとぎれとぎれに数分程度。
「おむつがMだと小さい?」と母と妹が話しているのが聞こえて「L」と声を振り絞って言ったのを覚えている。
未だ夢か現実かはっきりしていない状態。
 ※自分の目が見えていないことを知らないので、目を開けていても起きていると思っていない。
 ※ここは病院なのか、水場が部屋にあるなとか、係りの人は常にこの部屋にいないとか、布団を着ていなくても風邪をひかないのは温度調整がされている空調設備がある部屋だなとは思っていた。
点滴の針を刺す場所が無くて看護師さんたちが苦労しているのを申し訳なく思っていた。
主人が来た時に「何か話して」と言う。
 ※徐々に頭がクリアになって来て、現実か否かを確認したかった。

お守りがどんどん増えてゆく。
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1月7日
この日のリハビリも記憶が無い
死にそうなほど喉が渇いている。
 ※水は飲めないので母に何度もスポンジで口を湿らせてもらう。(硬く絞り過ぎて全く潤わない)
 ※ほんの一滴でも良いので水が欲しくて、咽喉の動きは自分では大丈夫と分かっているので悲しかった。
身体が熱い。
 ※妹にうちわで扇いでもらうが顔に風があたると息が出来ない。
平衡感覚がつかめないのでベッドが少し揺れただけでも気持ちが悪くなる。
父と看護師さんが話しているのを耳を澄ませて聞いていた。
 ※後に看護師さんにこの時の話を覚えていると言ったらビックリされた。この病気が珍しくて興味があるらしい。
記憶がはっきりしてきたのはこの頃から、けれどいつの間にか家族が来ていつの間にか帰っている、数分起きては眠るを繰り返していたと思われる。
懐かしい家族の関西弁に心が和む(夢に出てきたお米の妖精に似ていると思った)
多分夕方ごろ、豆粒程の大きさで光を感じるようになる。
夜には視界が3㎝位に広がる。
そして意識もはっきりとし、話し方が自然になって短い文を話すようになる。
 ※この日の夕方に急激に良くなる(目に光を感じたからかな?)
「脳幹脳炎について教えて」
 ※主人から意識を失っていた話を聞いた時、正直そんな漫画みたいなことになっていたなんて面白い!と思いました。ますます夢か現実か分からないけれど、こうやって生き返った意味は『絵を描きなさい』それが答えだとすぐに理解した。
「髪を切りたい」
「爪切って」
「今度眼鏡持ってきて」※主人の指2本がぼんやり見えたので。
心配な急ぎのスケジュールの確認。
「ボタニカル」※ボタニカルアートの教室の件で連絡して欲しい。
「人形教室」※生徒へ連絡して欲しい。
「年賀状出して」
「コペル(猫)病院」※薬が無くなるから。
「これ、現実?」3~4度繰り返し聞く。
 ※スケジュールなど現実で心配なことを聞きながらもまだ信じられない。
「夢を見た、辛い夢を見た、今、夢、楽」
 ※意識が戻るまでの間たくさんの恐い夢を見た。私の場合知っている人は1人も出て来ないので現実と混乱することはなかった、けれど精霊とかその土地に根付いた念みたいなもの(蟲師みたいな世界)とか自然の驚異のような自分ではどうにも出来ない怖くて苦しい夢。今見ている夢は怖くなくて楽になった。
「それ(ナースコール)押せない」※ミトンをしているので。
「しものせわ」
 ※おむつを替えて欲しいのに汚れていないので変えてくれない。暑くて蒸れているので看護師さんにお願いするけどやっぱり変えてもらえない。(おむつを替えてもらうととても気持ちが良いのに…)
アイスノンを新しいものに変えてもらう。
「最後に反対向けて」「専門家呼んで」
 ※向きを変えて欲しいけれど安全ベルトで腰を固定されているので主人では無理で看護師さんを呼んでほしいという意味ですが、目が見えていないので向きを変えてくれているのが看護師さんだと分かっていなかった。
 ※結局自力で向きを変える
夜中自力で向きを変えることが出来るようになったので、手を枕にして横を向き、若干下に顔を向けると唾液で喉の渇きが楽になることを覚える。以降この方法で水が飲めるようになるまで耐える。
ミトンをしているため布団が上手くかぶれない。首が座っていないので右後頭部が痛くて時間ごとに少しづつ向きを変えないと辛いのと、平衡感覚がつかめず枕をすると頭が宙に浮いているみたいで不安定で酔いそうになるので自分の手を枕にしていると手も痺れる。布団が暑くてお腹に厚めのタオルだけになり、ベッドのまわりのマットや下に引いてあるビニールのシートで動く度に更に熱くなって辛い。行儀は悪いがベッドの柵に足を掛けるのが涼しい。この日はアイスノンを太ももの下に引いてしのいだ。
ミトンでナースコールも押せないので「すみませーん」と何度も看護師さんを呼ぶのも申し訳なかった。
夜中に声を出して看護師さんに怒られたり、看護師さんたちが私のことを話しているのが聞こえるのも辛かったけれど、ギリギリまで我慢して仕方なく呼んでいるので『これが生きる力だ!』と思うようにしていた。

1月8日
朝から意識がはっきりしている
看護師さんに日付や場所を聞かれるが、「分かりません」と答える。
 ※むしろ今までは何と答えていたのか???
点滴の針が入る場所が無く看護師さんが何度も苦労して入れているのが申し訳ない。
視界が10㎝位に広がる。
リハビリの先生が来られて、優しい声で話されるのがとても良かった。
天気やニュースの話を聞くのが楽しくて、絵を描いていることを話した。
ベッドごと地下の検査室に運ばれる。
まだ明暗くらいしか視力が無いので状況が把握できない。
何の検査をしたのか分からないけれど、とても寒いのを動かないように頑張っていた。
 ※レントゲン?
その後お風呂に連れていかれたのですが、ストレッチャーで吊られ、何だか分からないうちに終わった。
 ※後で看護師さんに「怖かったでしょ?」と言われたけれど、どちらかというと楽しかった。
看護師さんに髪を乾かしてもらって髪を結ってもらうときの方が辛かった。
 ※首が座っていないので座っていられないし、寝ている間に不随意運動で髪にブラシが通らないほどもつれていた為、ガシガシとかれて頭が痛い。
 ※髪が切りたかった。
午後のリハビリは「今から始めます」の次に「終わります」と言われて凄く驚く。
 ※どうもその間に寝ていたらしいw
 ※後で聞いた話、「それまで単語で話していたのに、ある日敬語になっていた。」のはこの日だと思う。
眼鏡をかけてみるが何も見えず。
夜中の状況は前日と同じで辛かった。
平衡感覚もずっと変で頭側にずり落ちそうだったので、落ちそうで踏ん張っているような夢を見ていた。

1月9日
土日祝はリハビリがお休み。
この日以降、朝に看護師さんに日付と場所を聞かれてハッキリと答えられるようになったと思う。
主人が連休でゆっくり話が出来た。
「今日コペル(猫)を病院に連れて行ったよ」と言われ驚く。
 ※自分が長い間意識を失っていたことを知らないので『先日病院に行ったばっかりなのに…』と思っていた。
 ※まだ現実か夢か疑っていたのではっきりさせようと試みる。
届いていた年賀状やメールを読んでもらう。
展覧会の予定や教室などスケジュールの再確認。
「写真撮って、見えないから記録として」
 ※自分がどのように見えているのか気になった。
眼鏡をかけると10㎝位のところがぼんやり見えた。
瞼を開けると黒目が上下に動いた。
「今日病院に泊まって」→個室じゃないので無理(リカバリールーム)
「恐ろしい夢を見ていた。昨日もちょっと怖かった。」
アイスノンでお腹を下す。
喉の渇きはスポンジで喉を潤してもらう。
起きている時間が長くなり、夜が長く感じる
目がほとんど見えていないので自分のいる空間をいくつも想像するような夢を見ていた。

1月10日
昼間ミトンとお腹の拘束具をはずしてもらう。
使っていない枕や布団を整理してベッドが広々とする
視界が全体に広がる
「昨日は明るさと(指の)本数位、今日は部屋の大きさと間取りが分かるようになってきた。昨日より手が動かせるようになって意識がハッキリしてきた。」
巡回で来た担当医に「目は時間がかかるけど良くなるから」と言われる。
右目が上下左右0.8mm程動くようになる
沢山見た夢を話す。
 ※意識がはっきりしない間に見ていた(15冊くらい本が書けそうな)夢を忘れないようにメモしてもらう。
「これって現実だよね?」
 ※そして事態を受け止める

1月11日
個室に移動。
昼間ミトンとお腹の拘束具をはずしてもらう。
眼鏡をかけると昨日より見えるけれど疲れるので1~2分ではずす。
 ※色や立体感が無く白地に線で描いたイラストのように見える。
耳が痒い、髪が邪魔。
 ※痺れはあるけれど身体の感覚が戻ってきた
ベッドの頭側を上げても頭側にズリ落ちそうな感覚は変わらないし、上げると首が座っていないので痛い。
主人に代筆してもらい、メールを4件送信する。
後遺症が残った時の自宅改装案を話す。
「昨日話し過ぎて疲れた。」
 ※この日は長く話すと疲れた。
 ※主人の3連休の間に聞いておきたいことを確認し、話しておきたいことを伝えて安心し心の整理が出来た。

この時期の症状。
・全身の痺れ
・視力は近くが輪郭程度(眼球もほとんど動かない)
・頭痛(右後頭部)
・体が熱い(体温は36度後半)
・平衡感覚が変(頭部にずり落ちそうな感覚)
・首が座っていない。
・若干呂律が回らない。
・凄く疲れやすい。

※連休明けの明日からまたリハビリが始まるし、まずは水が飲めるように頑張ろう。
※生き返ったのには意味があるはずだから、元に戻れるように頑張ろう。今までは新しいことに挑戦してきたけれど、これからはじっくり腰を据えて、これまで培ってきた技術を生かす折り返しの機会なのではないかと思う。
※この病気の患者は先生もですが看護師さんも初めての担当で分からないことが多いので、自分の症状は自分で考えて工夫しようと決める。
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by zakuro-ami | 2016-03-27 12:08 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
②入院から病名が分かり転院するまで
 ※意識不明のため主人の記録と診療明細書より

12月27日
脳神経外科病院に入院
※頭部断面、脳に影は無く正常
※左副鼻腔下部に影(膿)

12月28日

留置カテーテル
髄液検査によりウイルス性脳炎と診断
血液製剤、献血グロベニンを静注(重症感染症の場合、患者本人の免疫グロブリンが大量に消費されてしまい病原微生物に対する排除能力が低下する為、グロブリンを外から補充する)
アシクロビルを限界ギリギリまで点滴(ヘルペスウイルスに効果的な薬)
肺炎(細菌)対策
ウイルス5種検査
※衛生面から面会滞在時間が30分までに限定
※母が言うには顔面蒼白で描いた眼みたいに眼球が動かず人形みたいだった。

12月29日
熱が下がる。
手足とも不随意運動で足に痣や一秒ごとに舌を出す。
酸素吸入

12月30日
腕を叩きながら呼びかけると右目を2~3mm開く。
褐色の痰

12月31日
右手を握る反応
左右とも足をくすぐると丸める。
「いっぱい話しかけてください」

1月1日
声掛けに反応
苦しい時には右腕を折って上げる。
トマトジュースみたいな痰

1月2日
声掛けに反応
名前を聞くと不明瞭だけれどもフルネームで答える。
繰り返し何か言うが聞き取れない。
呼吸はヒューヒューというレベル。

1月3日
不随意運動が激しい為鎮静剤を注入
発汗
腹部CTで抗NMDA受容体抗体脳炎(映画エクソシストのモデル)ではないと判明。
「ぷしぇしぇ」という謎の言葉
「起きる」「起こして」「トイレ」「ごめん」「おしっこ」と言う。
※トイレを我慢している夢を何度も見ていたのはこの頃だと思う。

1月4日
ウイルス検査(水痘・サイトメガロ・ヘルペス等)すべて陰性という結果から自己免疫系の脳炎の可能性が高まり、神経内科への転院が望ましい。
急遽、横浜市立市民病院への転院が決まり救急車で申し送りとなる。
※ゴミと一緒にトラックで外に運ばれた夢を見たのはこの時じゃないかと思う。一瞬外の肌寒い感じがしたのと、トラックに一緒に乗った看護師さん2人に優しくしてもらって「助かった」と思った。看護師さんたちは表情が無くて目や口の中がブラウン管TVの砂嵐みたいだった。

脳波
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画像診断 CT撮影・MRI撮影・X-P撮影
点滴注射 ビーフリード・セフトリアキソンナトリウム・テルモ生食TK・グリせノン・アシクロビル・大塚生食注・ラニチジン・ソルメルコート・アレビアチン・献血グロベニン・生理食塩液
処置 喀痰吸引・留置カテーテル・酸素吸入
検査・病理 血液検査・心電図検査・呼吸心拍監視・血糖・経皮的動脈血酸素飽和度測定・髄液検査・腰椎穿刺・単純ヘルペスウイルスDNA抗原検査・水痘帯状ヘルペス検査・サイトメガロ検査・PL・脳波検査・血液学的検査・免疫学的検査・B-C反応性蛋白・梅毒トレポネーマ抗体定性・HBs抗体定性・HCV抗体定性・微生物検査・糞尿便等検査・生化学的検査10項目以上 他
リハビリテーション
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by zakuro-ami | 2016-03-10 01:37 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
①先行感染(風邪?)から意識を失うまで

ちょっと記録としては長くなってしまうのですが、気持ちの状態も残しておきます。

12月前半は制作て徹夜したり、ギャラリー巡りをしたり、食事会があったりと毎日忙しく動き回っていた。

12月16日
お友達のライブへ行く。
仙骨滑液包炎でずっと座っていられるか不安だったので一番後ろの端っこに居た。
アンコールの時に私に気付いて手を振ってくれてとても嬉しかった。
暫く活動を休止するらしく、最後に行くことが出来て良いライブで大満足でした。
久しぶりに会う友達もいて、探していた人にも会って目的も果たせてホッとする。
出口付近で大声で喚いている人がいて嫌な気分で頭の中がぎゅっと痛くなる。
疲れのせいか出口を間違えて転んだ。
帰ってから微熱があったので早めに就寝。
夜中39度まで熱が上がる

12月17日
38度後半の熱が続く。
熱と咽喉の痛み。
鼻からズルッと大量の血痰が出て、脳味噌が融けたのかと思う程。
インフルエンザとは明らかに違う嫌な感じ。
友達と三浦半島へ行く予定をキャンセル。

12月18日
39度の熱と咽喉だけが痛い
人形教室を休講。
夕方近所のおばぁちゃんが救急車で運ばれて行った。
窓から眺めながら心の中で『私も乗せて行って…』と呟いた。

12月19日
38度後半の熱と血痰。
朝のゴミ捨ての時に昨日運ばれたおばぁちゃんが施設に入るため、もう家に戻らないと聞いてショックを受ける。
おばぁちゃんが何時も座る窓際から我が家の薔薇が見えるのを楽しみにしていると聞いていたから。
熱があって辛いのに食材が無い為いつもなら15分の坂道も1時間位かかってフラフラになりながら買い物へ行く。(こういう時に動いてくれない主人に凄く怒っていた)


12月20日
37度前半の微熱。
微熱だと思っているけど、平熱が34.9度~35.1度なので無理しないでいた。

12月21日
36度に下がり、鼻水が出る。
大掃除やクリスマスの準備や庭の薔薇など気になっていたけれど、普段の家事と年賀状の準備くらいしかできないでいました。

12月22日
38度の熱と鼻水。

12月23日
36度に下がり、右顔面の鼻の奥が少し痛い

12月24日
熱は無いけれど鼻に違和感があったので耳鼻咽喉科へ行く。(内科の病院が休診日だったため)
ジェニナック錠(細菌を殺し感染症を治す作用がある)を服用して蕁麻疹が出る。
実はこの薬で蕁麻疹が出たのは2回目。
この日は忙しくて夕方蕁麻疹が治まってからフラフラになりながら出かける。
裏のおじいちゃんに毎年ケーキを焼いて喜んで貰っているけれど、今年は買ったケーキのお裾分けになってしまった。
何とか用事を済ませてぐったりしていると、身体が冷えて周囲が暗く感じる。
主人の帰りが遅く、結局一人で寂しくローストチキンとサラダを食べて寝る。

12月25日
朝から夕方位までぐったりして寝ていた。
夕方庭の掃除と少し薔薇の手入れをする。
主人が食べなかったローストチキンを私の夕食にする。
冷たいままだったからか全く美味しく感じない。
妹から電話があって長い時間話をする。
何故か「多分大丈夫だと思うけど、もし私に何かあったら父と母を宜しく頼むね」と伝えると、疲れたので歯を磨いて寝る。
日付が変わったころ主人が帰って来たので起きてご飯を作るもぐったりして力が入らない
クリスマスケーキを一口食べて寝る。

12月26日
朝起きられなくて朝のゴミ出しが出来ず珍しく腹立たしい気持ちになる。
何時もなら腹を立てるのではなく自分を責める性格なのに、体調が悪いのに主人が手伝ってくれないからなのか、自分の怠慢へなのか、外側へ怒りをぶつけたのは今から考えると既にこの時には身体が動かなくなっていたからなのです。
そのまま眠っていたのか夜に「お粥食べる?」と起こされてビックリする。
ビックリしたのは主人がお粥を作れたということにです。
身体を少しだけ起こし一口だけ食べて「もういらない」と言ってそのまま寝る。
夜中トイレに行こうとしてベッドから落ちる。
身体が動かないし力が入らない。(痺れるような感覚はない)
両脇を抱えられて引きずられてトイレに連れて行ってもらう。
蕁麻疹がでた薬の副作用が原因ではないかと思い主人に話するけれど呂律が回らず伝わらない。
その時書いた字↓
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何度も何度も必死に「副作用」と言ってやっと伝わったところでベッドに戻る。
夜中主人に「トイレ?」と言われる。(どうも私が呼んだらしい)
トイレに連れて行ってもらうけれど、今度はトイレットペーパーが巻けないので主人に取ってもらった。

12月27日
朝8時半過ぎ「救急車呼ぶ?」と主人に聞かれて頷く。
薄く開いた右目の眼球が動かなくなっていて主人もオカシイと思ったようです。
もうこの時には目は見えなくなっていました
救急隊の方に(階段があるので)吊るされて外に出た肌寒い感覚と、出発していない救急車の中にいる記憶を最後に意識を失いました。


呂律が回らくなった時点で直ぐに病院へ行くべきでした。
※この病気では複視が出る人が多いのですが、私は強い乱視と弱視のため右目でしか見ていないため、複視は出なかったのではないかと思っています。
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by zakuro-ami | 2016-03-08 23:50 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)