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箱庭の森

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薔薇と猫にかこまれ、絵や人形を童話のように創作する日々

カテゴリ:ビッカースタッフ脳幹脳炎( 9 )

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今日は末梢神経伝導速度の検査に行ってきました。
正常の範囲になりました。

1月は薔薇の世話をして毎日クタクタでした。
2月は絵と人形の制作で必死でした。
3月は出掛けることも多くて忙しくしています。
今年に入って踏ん張りがきくようになって、元気になったな~って思います。
頑張れることが嬉しいです。

両手はやっぱり少し痺れています。
ペットボトルの蓋をよく落とします。
薄い手袋をつけているみたいな、感覚がハッキリしていない感じはあります。
そういえば以前は触感に敏感で常に手触りに繊細な興味があったのに、今はあまり気にしなくなってしまいました。
特に生活に問題はありませんが、何か大切なものが無くなってしまったような寂しい気持ちになります。
壊れたものは元通りにはならないのかな?

ビッカースタッフ脳幹脳炎の重症度分類というのがあります。
0.まったく症候がない

1.症候はあっても明らかな障害はない: 日常の勤めや活動は行える

2.軽度の障害: 発症以前の活動がすべて行えるわけではないが、自分の身の 回りのことは介助なしに行える

3.中等度の障害: 何らかの介助を必要とするが、歩行は介助なしに行える

4.中等度から重度の障害: 歩行や身体的要求には介助が必要である

5.重度の障害: 寝たきり、失禁状態、常に介護と見守りを必要とする

6.死亡

私は5の段階までいって、3で退院し、今は1です。
お医者様曰く3の段階で治ったとみなすそうです。


先日お医者様でこの病気になった方のエッセイを読みました。
本人もご家族や親戚も「もう終わりかと思えた深刻な事態」という、お医者様でも防ぐことも出来ない、そして重症化しても予後はそんなに悪くもない不思議な病気なのです。

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by zakuro-ami | 2017-03-23 23:07 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
意識を失ったあの日からちょうど一年が経ちました。

あれから物が見えにくくなって目に負担になると思い、あまりSNSは見ないようにしています。
お医者様は20歳を過ぎたら老眼が出てきてもおかしくないから普通だと言いますが、去年の12月は見えていたものが急に見えなくなったのは病気が原因と言えるとのこと。

この数か月の状況
7月中旬位までは週一回位は出掛けて元気になっていたのですが、だんだん暑さに弱っていました。一度出掛けると3~4日寝込む。ビックリするくらい眠っていられる。(最長18時間)下旬、炎天下に町内の木端細工の指導員をなんとか頑張って乗り切りました。

8月はずっとぐったりして病院と人形教室の授業にしか出かけられませんでした。
月2回スーパーの宅配サービスを利用して、無理しないようにしていました。
体がダルくて階段が疲れる、毎晩足がつり痺れる、力が入っていなくて物をよく落とすし、疲れると呂律が回りにくい、頭痛(後頭神経痛)、匂いに敏感になる、2度程心臓が痛くなる、生理前症候群もひどくなる、太陽アレルギーで15分外に出ると顔に水ぶくれができる(光線過敏症)、手湿疹(アレルギー体質になった)などもあった。
順調に良くなっていたのに体に力が入らなくなって、この頃が一番精神的ダメージが大きかった。

9月は少し動けるようになる。
誘発筋電図検査はギリギリ普通の人の数値に入るようになってきた。一度損傷た末梢神経は4週間前後でピークに達し、6~12ヶ月前後で症状が落ち着いて安定した状態になります。重症例では回復までに長期間を要します。後遺症で両下肢麻痺(約1割の症例で発症1年後の時点で自力歩行ができない)、複視、四肢筋力低下が残る方もいらっしゃいます。私と同じ時期位に入院されていた方はてんかんが出ていました。その人も夏の暑さで疲れて出かけると寝込んでしまうらしいので同じだなと思いました。
末梢神経は1日に1~2mmずつくらい伸びるらしいので気長に待つしかないのです。
取り敢えず一年を目安に無理しないでおこうと自分の心に言い聞かせる。

10月入院中に『家族で旅行したい!』を実現するが行く前の計画段階から猛烈に疲れる。
国内だけど長い時間の電車は辛いので飛行機にした。

11月元気になってきたけどコペルが調子を崩し入院し動物病院を何度も往復。
奇跡的に回復し目が離せないのに野良猫を保護したりで忙しかった。

12月更に元気になって時折駅から坂道を走って帰りたい!と思う程に。
けれどこの一年間であれもこれもと気になっていた事が溜まり過ぎて、手を付け始めるも以前より二倍くらい時間がかかり、途中で何度か力が抜けたように休憩をする。筋力が落ちたからかな?
梯子にのぼったり、ノコギリ挽いたり、ペンキ塗ったりやっと本来の自分に戻ってきた。

現在の状態
やっぱり疲れやすい。
疲れていると呂律が回りにくい時がある。
指先の痺れはまだ残っている。
副鼻腔炎の影響か右目をつむる度にボコボコ音がする。
アレルギーが出やすくなったため、花粉症対策の目薬をさし始める。
(バタノール・来年の花粉は多いらしいので注意です!)

原因を考える
昨年のクリスマスイブの日の朝、熱と咽喉の痛みと副鼻腔炎で耳鼻科に行き昼に抗生物質のジェニナックを服用した。
蕁麻疹が出たのでそれ以降は飲んでいない。
私はこの薬での蕁麻疹が2度目なので、アナフィラキシーショックを起こしました。
あれからキノロン系の抗生物質には注意するようにしています。
キノロン系の副作用に瞼の腫れというのがあるのですが、この日の夕方に鏡を見た時に左目の瞼が少し下がっていて(眼瞼下垂)気になっていました。
副作用のせいなのか、ギランバレー症候群の亜種のフィッシャー症候群が原因なのかは不明ですが、私の場合は意識を失うまで複視も手足の痺れも頭痛も味覚障害も下痢も無かったです。
普段からある凄く疲れているくらいの身体かダルさで25時位に寝て…朝7時にはもう身体が動かなくなっていた。
土曜だったのでそのまま眠ってしまって…独り暮らしだったらあのまま死んでいたかもしれない。
フィッシャー症候群に意識障害(中枢病変)を合併しビッカースタッフ型脳幹脳炎へ進展するのですが、フィッシャー症候群の症状が出ていればもっと早く病気の名前が分かっていたのではないかと思っています。(年末年始を挟んでしまったし。)

私の場合退院してから2週間後位に複視が出ました。
無理矢理(必死で頑張って無理して)退院したので本来ならもう一カ月間位は様子をみるべきでしたが、不眠で違う病気になってしまいそうでしたので…。(この病気は睡眠薬が効かないらしい)
ビッカースタッフ脳幹脳炎って脳幹が炎症を起こしているということはわかるけど脳幹(延髄、橋、中脳)のどの部分なのでしょうね?延髄は舌下神経、橋は顔面神経、中脳は動眼神経ってあるから全部なのかな?
首が据わらなくなるのもそのせいですよね。。。首を固定するサポーターや頭部支持のある車椅子があれば少しは楽だったのにと思います。
ピークを過ぎたら良くなっていくというのは違っていると思う。起き上がれるようになってから顔面が痺れたし、退院して2週間以上経ってから複視が出た。ギランバレーの症状が出た後にフィッシャー症候群を併発、意識障害を起こしてビッカ―スタッフ脳幹脳炎というのが多いと思うのですが、私の場合逆行している感じ。


ギラン・バレーの発症初期に臀部の痛みがある場合かあるというのを聞いた。
私は10月末位から仙骨滑液包炎?で尾てい骨のまわりが痛くなり12月中旬がピークでした。
末梢性神経障害はすでに起こっていたという事なのかな?
因みに今でも痛いです。
長い時間座っていたら立つときに痛くてなかなか立てない。
痔の人が使うドーナツ型の座布団は引っ張られて余計に痛くなるし、低反発も押されて痛いので柔らかくて深いソファーが一番まし。


痺れは無かったというのは正確には違う。
2006年に椎間板ヘルニアになって左側下半身がずっと痺れているし、5年ほど前から頸椎の方も悪くなって左半身頭のてっぺんから足の指は常に痺れていた。(10年前から末梢神経とは付き合っている)
不思議と現在は両手だけで、足の痺れは無くなった。
一生左半身の痺れが続くと覚悟していたのに反対に良くなったようで不思議。

「仰天ニュース」でピアスでフィッシャー症候群になったというものがあった。
私もちょうど一年前位にピアスの穴をあけたけれど、金属アレルギーがあるのかずっと膿んでいて血が混じった感じだけどこれは違うと思う。入院中に塞がったので先月またあけに行った。

この十数年年末になると調子を崩すので年の節目が怖かった。
秋に頑張り過ぎると冬にしわ寄せが来る。
一昨年のクリスマスも日本のホラー映画みたいなにうすら寒くて薄暗く感じていたので、昨年も同じだなと思っていた。
この時期は主人の帰りが遅くて(日付が変わってから)一人で居るからなのか?
一昨年も2年連続チキンに味が無くて(3年前は美味しかった。)全く美味しくなかったので味覚障害があったかは分からない。
(発病前に味覚障害があった方がいる)

子供の頃病気ばかりしていたから今生きていることの方が不思議に思う。

もう一つ、未だに謎の現象があった。
昨年の12月初めにカレンダーが読めなくなった。
そろそろ再来年(2017年)の予定を具体的にたてなければと思うのに、月ごとの時間的感覚は分かるのに月別で表示ざれていると頭の中で繋がらなくて困った。
なのでロール状に繋げたものを自分で作った。
私、どうしちゃったのだろう?と不安だった。
今はそんなことをしなくても大丈夫。

悪夢について
夢は、海馬・後頭葉・外側膝状体・橋で作られるらしい。
浅い眠りのレム睡眠中は脳が活発に働き、物語性があり登場人物のいるハッキリした夢を見ます。
脳幹という場所にある脳から体への指令を遮断するスイッチが働いているから体が動くことはありません。
このスイッチがあるおかげで、脳は、睡眠中も、記憶の整理など、効率的な学習を進めることができる。
レム睡眠中は脳波がまどろんだ状態にあり、眼球がものを見ているように動き、身体中の筋肉が弛緩した状態がある。
「レム睡眠行動障害」がある人は起こされると夢をハッキリ記憶している、追われる、戦うなどの不快な夢が増える、目覚めたときに身に覚えのないケガがあったり部屋が荒れるなどしているらしい。
脳幹部にある橋はレム睡眠の中枢のある場所であり、外側膝状体と後頭部の大脳皮質は、視覚情報の処理を行う場所なので
、橋が完全に壊れるとレム睡眠は消失するらしい。
レム睡眠中は眼球が動くけどフィッシャー症候群は眼球が動かせなくなるし、脳幹脳炎は橋が不具合を起こすから恐くて奇妙な夢を沢山見るんじゃないかと私は思う。脳幹ミオクローヌス(不随意運動)でレム睡眠中に勝手に体が動いてしまうのもあるかも。
もしかしたら起きているかもしれないけれど(目は開いていても)、視界は真っ暗だし夢か現実か分からない。
中には聞こえてくる音や声で混乱してしまう人もいるみたい。
昏睡でも聴覚と触覚の刺激は良くも悪くも現実へ誘うのは間違いないです。
意識状態について下記のサイトが分かりやすいです↓
https://www.kango-roo.com/sn/k/view/1595


大海原や湖の景色、あるいは洪水でおぼれかかった夢などは、尿意が原因になっていることが多いらしい。
三途の川が尿意からなのかと思うと…残念な感じですね。
熱が出てうなされぎみのときにはぎらぎら光る太陽の夢を見ることもあるらしい。
私は高熱が出ると何処までも続く海のようなシーツの上で揺られている夢を必ず見る。
喉が渇いているときは砂漠の、すべてが砂になってしまう夢を見ました。

そういえば映画の『エヴォリューション』は私が脳幹脳炎で昏睡状態の時に見た病院の中の夢のひとつに似ていた。
私は寝ている本体の私と足元から見ているもうひとりの私が居て。。。トイレに行きたくて動こうとしても全く体が動かない。
もう一人の私が居るからトイレも場所や廊下や階段や外の景色もわかる。暗くて寂しくて冷たい病院で渇いているようなのにどこか湿気を感じるような。

中には幻想的な夢もあって、これはあの世へ渡る三途の川みたいなものかと思った。
美しい里山でお米の妖精が一生懸命働き、神に祈り(お酒呑んで踊って騒いでいる)、風の音がし、(お米の妖精は小さいから雨粒にあたると死んじゃうから一斉に逃げる)やがて渇いた土に雨粒が落ち、水溜まりが出来て雨の落ちる音がリズムとなり、川になり、淵に立ちながら水は生命の源なのだなと改めて思った。氾濫して。。。神に祈り、美味しいお米が出来て、またお米の妖精が働いて呑んで踊って。。。この夢は人間界から迎えたお姫様(宮崎あおいに似ている)と音楽の神様の恋愛の夢の一部なのですが、やがて呪いのお米になっていく。。。私は夢の中で音楽を聴いたりとっても美味しいお米を食べて幸せな気持ちになったのに。。。キツネに騙されたみたいにお屋敷も明かりもどんどんなくなって、起きたら道の駅みたいなところで隅っこに捨てられてて体が動かなくて。。。
『千と千尋の神隠し』も『君の名は』やあの世みたいな物語ですよね。
幻想的で怖くて悲しくて、奇妙で夢の時間を冒険しているような。
でもよく考えたら苦しくはないけれど今までに見た夢にもそういう幻想シーンが出てきて、絵に残している。
因みに沢山の悪夢の中に爆笑問題が出てきたのがあるのですが、お金のない舞踏劇団みたいなところに入っていて(多分舞踏は不随意運動のせい)、半分外のような廃屋で段ボールを敷いた上に寝ていて(他にも同じように寝ている人がいる)、体が上手く動かずに落っこちそうになっている(回転性めまいのせい)のですが、爆笑問題の太田さんが「何にもしてあげられないから自分で治せ」みたいな死神みたいに冷たそうだけど心配しているような目で見られているのです。
不思議なのは同じ病気の人の悪夢にも爆笑問題が出てきたのですって!何で???

寝る前にイメージ訓練などをすることで、明晰夢を見る回数を増やすことができる。
明晰夢は不安障害や悪夢障害といった症状を和らげる療法として注目されている。明晰夢を見るときはそれが夢であることを自覚しているわけだが、不安の対象から距離を置くことによって、客観視することができるようになるようだ。
私は中学の頃から見た夢のノートを付けていてこれが明晰夢の訓練になっていたようで、怖い夢はほとんど見ないし、何度も同じ場所に行けるし、夢の中に町を建設し、大体の地図もある。(夢なので奇妙ですが)
けれど脳幹脳炎の間はなかなかコントロールが出来なくて苦しみました。
なんだか奇妙な世界で問題を解決してゆく冒険のような、不思議の国のアリスみたいでした。
でも明晰夢のおかげで自信があって、いくつもいくつも戦って自分を信じて乗り越えていた。自分を信じて戦って進みました。
面白い経験を沢山したと思っている。。。何のために?!!!

痛みについて
看護師さんから「凄く頭が痛そうで可哀想だった」と言われたけど覚えていない。
私は『痛み』は忘れるようにできているのを知っているので相当な痛さだったと思う。
私の子宮内膜症の痛みは(盲腸)のレベルを越しているらしく、のたうち回るような痛みと3日間位食事どころか水を飲んでも吐くから薬を飲めない、胃液を吐ききって血を吐く。
座薬も効かないし痛みが強すぎて痛み止めの注射も打てないので病院に行っても放置されるだけ。
腰痛なんかでギクッとなった時の激痛が何時間も続く感じで、視界が小刻みに揺れて『お願いいだから私よ気絶してくれ!』って心の中で叫んでいる。
痛みが出る前に鎮痛剤を飲まなくては駄目だし、頭痛もひどいから一年の半分くらいは薬を飲み続けている。
痛くなってからでは遅すぎる。
なるべく薬を飲みたくないからと思ってタイミングがズレたら自分も苦しいけれどいろんな人に迷惑をかけまくる。私が大丈夫ですと言っても見ている人たちが怖いのか何度も救急車を呼ばれてしまった。
そして毎月が恐怖ではなく、毎回忘れてしまうように人間が出来ていることを知った。
凄いのは私がベッドで吐いていても(何時吐いてもいいように袋を置いている)横でグーグー寝てしまえる旦那さんだ。

脳幹脳炎の不随意運動の様子を動画にアップしているのは流石に見かけない。
本人は見ていないので気になるけど家族は心配でそんな余裕はないし…見ていられないだろう。
人形みたいに動かない時は母と妹は私を見ながら死んでいる違う人だと思って私を探し回ったっていうし…。
何処か現実から目を背けているような気持ちでいる。
不随意運動があって足をバタバタ動かして何度もベッドの柵にぶつけている記憶が少しある。
意識が戻って来た時に足の親指の付け根が痛くて、その時にそういえばベッドの柵に何度もぶつけてたなと思ったのですが、リカバリールームでは柵をフエルトでカバーしていたのでそれより前の記憶になる。
自分は意識が戻っていても目が見えなくて視界が真っ暗なので夢か現実か分からなくなるし、他人から見ても人形みたいに眼は開いているけど眼球が動かないので起きているのか意識が戻っているのか分からなかったと思う。
話せなくても聴覚は大丈夫なので看護師さんの話は聞こえている。
自分の事を言われているのもちゃんとわかっている。
腰で固定されて拘束されているし、ミトンをしているからナースコールも押せないし、看護師さんも忙しいので滅多に来てくれない。人の気配がしたら声を発するも掃除の方で「私にはわからない」と言われる。
主人は会社が終わってからだと19時過から面会時間最終の20時までしかいないし、主人が他の人の面会を拒否していたので、朝か夜かもわからない暗闇の中でずっと独り悪夢と実感のない現実を行き来していた。

死に関して
正直に言うと死ぬ準備をしていた。
正確に言うといろんなことに区切りをつけていた時期で、たったひとつ未来に繋ぐ準備をしていたのは12月中旬に額を注文したことだった。
主人には半年くらい前から「幸せな人生だった、ありがとう」と何度も言ってきたし、妹に「私に何かあったら父と母をよろしく」と言った時には冗談も言って身体も普通に動いていたのに、その2時間後位に体が重くなった。
主人の冬期休暇に合わせるように意識を失った。死んでしまうのにちょうど良い時期だったのに。
病に付け入られたのか、自分で隙を作ったように思う。
自律神経系が悪いことは小学生の頃から分かっていたこと、この病気になるのは考えられないことではない。
病気をしたことで何か変わったことはあるか?と聞かれたら「死ぬことが怖くなった」と答える。
あのまま死んでいたらよかったのにと思ている。(死にたいとは思わない)
でも生きてしまった。
あれから一年、ゆっくり歩いて体調も戻ったのでそろそろ走り出すときかな。

写真はリハビリしていた公園
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何だか思ったことを勢いでダラダラ書いてしまった。
読み返すと全部消してしまいそうなので誤字脱字等お許しください!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
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by zakuro-ami | 2016-12-27 18:31 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(2)
退院後から現在

2月4日
退院した翌日は主人が会社を休み(もともとこの日が退院日だったため)掃除や洗濯を手伝ってもらう。リハビリを兼ね近所の車の少ない道をゆっくり歩いて食材を買いに行く。

2月5日・6日
母と妹が奈良から来てくれる。
リハビリを兼ねて近所のスーパーに付き添ってもらう。
年末の大掃除が出来なかったので換気扇や拭き掃除、アイロンがけ等をしてもらう。
まだ首が疲れるので30分に一度はソファに横になる。

2月12日
ボタニカルアートの方々に付き添ってもらい汐留のパナソニック電工のボタニカルアート展に出かける…かなり無茶をしたかも。
ランチをして銀座のプランタンまで歩き、チョコレートとパンを買って帰る。
電車の行き帰りとも座れ、複視が出ていないので風景の流れに違和感はない。
歩くのは相変わらず手振れ補正の付いていないビデオカメラみたいな見え方なのでゆっくり転ばないように気を付ける。遠近感が無いので階段は必ず手すりを持つ。
何度かベンチのある場所で休憩する。
久々に沢山お喋りをしてとても楽しかった。(疲れると呂律が回らなくなってくる)
心強いボタニカルメンバーのサポートのおかげで安心して遠出が出来た。
遠くを見ているようなぼんやりした目だと言われる。(眼瞼下垂)

2月17日~19日
妹が奈良から来てくれる。
病院に付き添いをしてもらう。
掃除や買い物を手伝ってもらう。
近くの動物園に行く。
妹が帰ったあとぐったり疲れる。
年末に録画しておいたフィギュアスケートを見ていると物が左右に二重に見える。(複視)
重なってではなく、くっきり2つに見える。
スピンなんかは刃がぶつかりそうで怖い。
※複視は3月中旬まで続き、近所のスーパーまでしか出かけられなくなる。
ガードレール2つに見たり、右から追い越した人が左右2人に見えたり、数メートル進むごとに片目にして確認しながら歩くようにしていた。

2月20~3月上旬
複視で外出が難しくなったので庭の薔薇の手入れをする。
3月までに終わらせたくて必死で頑張る。
重い鉢以外は一回り大きいものに植替え、根っこの確認までは出来なかった。
地植えは掘り返すことも出来ず、誘引と剪定だけ。
紐を結ぶのも良く見えないのでほとんど手袋をせず棘で傷だらけ、転んで膝も擦り剥く。
梯子の上でフラフラするので2階の屋根くらいまで大きくなりすぎたつる薔薇を6本根元から切ってしまった。

2月下旬~3月下旬
30年振りに酷い花粉症になる。
湿疹などアレルギーが強く出るようになる。

3月
人形教室の再開。
終わった後はクタクタ、フラフラに疲れる。
ボタニカルアートの教室に参加。
細密画は目が良く見えない。

3月中旬
複視が無くなった次の週はやたら眩暈がする。

3月下旬
歩いても手振れのような揺れも無くなり、しっかり速く歩けるようになる。
階段も手すりを確認しないで下りられるようになる。
軽い眩暈もする日もあるので朝の体調で判断する。
31日は初めて一人で東京まで出掛ける。

4月上旬~中旬
ハッキリ物が見えないため神経に詳しい眼科の紹介を受け多数検査をする。
・中心フリッカー
・矯正視力
・屈折(1以外)
・精密眼圧
・角膜曲率
・スリットM(前・後眼部)
・精密目底(両)
・眼底三次元画像解析
・精的量的視野(片)
・精密眼筋及び輻輳
・瞳孔機能(電子瞳孔計)
・調節
右目の赤色点滅への反応がギリギリ正常値の範囲でそれ以外は合格。
視力に関しては脳幹脳炎から回復したとの判断。
急に老眼が進んだのか…近く(20㎝位まで)を見る用の処方箋をだしてもらい眼鏡を作る。
普段かけている眼鏡は焦点が合わないけれどそのまま使うことにする。
乱視と弱視と近視と遠視があるので両目で見て0.6までしか見えない。
病気になる前は左目を殆ど使っていなかったけれど、少し使うようになったのか、以前より左目の瞼が大きく開くようになったように思う。

4月21日
誘発筋電図(4神経)検査
右腕と右足に電流を通して反応を見るのですが…先生の足に膝を乗っけての検査ってこれ如何に…。
1月7日に検査した時より反応は良くなっている波形が出ていた。(特に右手小指)
7日は目が見えていないのでこの検査をしていた記憶はほとんどない。
電流を流すと痛い部分もあるのに、痺れで相当感覚が無かったものと思われる。

4月下旬
ほぼ生活は元通りになる。
手の痺れは(左の方が痺れる)回復していない。
とくに気圧の関係か雨の降る前日から直前は痺れが酷い。
右目をつむるとギュギュッという音が鼓膜辺りに響くのも治らない。
神経内科では我慢するしかないと言われ、眼科では分からないとスルーされて困っている。
病気になる前より疲れやすくなったと感じる。
めまいの酷い日もあって、何をするにも以前より時間がかかる気がする。
無理が効かなくなったので徹夜したり、半日でいっきに庭の草むしりをする自信が無い。

5月下旬
中旬に頑張り過ぎてぐったりと疲れ下旬は一週間程ゆっくりする。
すると手の痺れが肘から下だったのが手首から下になり、痺れも和らぐ。

6月上旬
眼科での診察で以前から使っている眼鏡が『普通ではそんな眼鏡は作らない』と言われ驚く。
左右の差が激しく、普通なら調節出来ずこの眼鏡では見えないらしい。
これでも左右の差を縮めるために度を(0.5位に)落としているんだけど。。。
12月まではこの眼鏡で普通に見え、2月中旬まで複視も出なかった。
複視が治ってから近くが見えにくくなったのは突然老眼になったか、病気がきっかけの可能性はあるらしい。
右目は酷使していたけれど、左目は今まで使っていなかったからか凄く綺麗らしい。
左目を使うようになって複視が出たのか?
なんだか急に右利きから両利き(普通)になってどちらも慣れない感じです。
子供の頃から左右の目で色味が違って見えるからどうなるのかな?

6月現在
・倒れてから半年が経ち、普通に生活している。
・無理をすると翌日は何も出来ない。やっぱり疲れやすい。
・手首から指先の両手の痺れはまだ少しある。
・アレルギー体質が強くなった。(花粉症・手や首の湿疹)
・薬(メチコバール)の副作用で口のまわりに吹き出物が出来る。
・疲れると呂律が回りにくくなる。
・目が悪くなった?ハッキリ物が見えない(老眼?)
・副鼻腔炎の影響か右目をつむる度にボコボコ音がする(ドラマとかで使われる心臓の音に似ている)
・体温が35.5度になった(12月は35.1度)
・不整脈はあると思う。
不整脈は以前から。
祖母(ぺースメーカーを入れていた)・母(狭心症)・妹も不整脈があるので遺伝?
以前から検診の度に不整脈でひっかかる。
昨年2月個展の搬入が終わった夜と翌日と5月にも睡眠時に心臓が痛くなり、循環器センターで検査を受けていました。その後は大丈夫だったので激しい運動を避け、ニトロペン舌下錠を持ち歩いていました。


遅くなってしまいましたが、沢山の励ましの手紙やメールやメッセージをいただき、心よりありがとうございます。心強く、力となりました。宝物にします☆
お見舞いに来てもらったお友達からいただいたひざ掛けはソファに置いてあって毎日使っていますよ☆
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元気になるというのは体の中から力が沸いてくることなんだと実感しました。
そして前向きな気持ちが一番大切です。

このビッカースタッフ型脳幹脳炎の体験ブログなど珍しい難病で詳しく書かれている方は少ないため自分がどのように回復していくのかとても不安でした。
人によっても、そして年代別(特に20代)でも症状が違いますが…。
もし独り暮らしであのまま眠る様に意識を失い誰にも発見されないで10日間が過ぎていたら死んでいたと思います。
家族や両親、妹、友達の有り難さを改めて思いました。
この病気になった方やご家族の方に少しでも役立ち、安心していただければと頑張って書いてみました。
今の状態はまだ100%戻ったとはいかないのでまた一年後の症状も報告します。
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by zakuro-ami | 2016-06-23 01:00 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
⑤退院するまで

1月21日
痛み止めの粉薬が無くなり、メチコバールだけとなる。
作業療法(OT)リハビリから帰ってくると主人が来ていた。
この日主人は会社を休んで前の病院での手続きを済ませ、こちらの病院で難病申請の手続き。その後一緒に一階の患者総合サポートセンターに行き、ソーシャルワーカーの方に会い、転院する回復リハビリの病院を3つに絞り込んで空きを待つことになった。
第一候補は交通の便や自宅に近い。
第二候補は交通の便と若年者の回復リハビリをしている事。
 (後に面会時間が早くて主人が平日に来られないのと評判の悪さから候補から外れる)
第三候補は以前いた病院。(私は全く記憶が無い)
10㎝位に近づけてなら細かい文字も読めるようになった。ただ直ぐに疲れるので資料の一覧表で場所を確認するのがやっとでした。
午前だけでも1階と6階を2往復、午後また1往復で車椅子の移動は気持ちが悪くなる。
主人がお昼にコンビニへ行くのでコンディショナー(無かったので髪がごわごわだった)・ジャスミン茶(目が見えるようになって他の入院患者さんが買っていることに気が付いた。それまではコップに水道水を入れて貰っていた)、ウエットティッシュ(食事前やリハビリから帰って来て手を洗いたくても3m先の洗面まで一人での移動が許可されていないし、看護師さんや介助の方は忙しそうで声がかけられなかったし、学生さんでは不可の決まりがあった)などを買ってきてもらった。
ペットボトルの蓋が開けられなくなるほど握力も落ちていた(43位あったのが22位)
主人も午後のリハビリに同行してくれた。
理学療法(PT)リハビリは頭が揺れると気持ち悪くなるのではじめは横になって足の運動。平行棒を使って歩いてから階段の昇降、それから廊下を歩いてみた。窓から「キャベジン」の看板を読んでみるけれど「??ベシン」が精いっぱいだった。
主人曰くあるき方は逆さの振り子みたいなロボットみたいだったと。
言語聴覚療法(ST)では話し方や発音は以前ととあまり変わらない(もともと呂律が回らない)と主人は言うけれど、私の中での点数は20~30点ぐらい。どうも自分に厳しいタイプらしい。
リハビリでも看護学生さんとも楽しく話したり突っ込みを入れたり良く笑って前向きに過ごしている。
夜に妹と母が奈良から来てくれた。
実は不足しているものが沢山あって心待ちにしていた。
下着やタオルや剃刀や洗顔やカーディガン、靴下、スキンケア用品や髪留めやゴム等を買ってきてもらうようにお願いした。
今週に入ってから下着が無くて寒かったし、リハビリをするのも紐で結ぶタイプのパジャマなのでおっぱいが丸見えで毎回テープで止めて貰っていた。
顔はお手拭きで拭くだけで化粧水も何も無かったし、袖の太いパジャマが入る大きいカーディガンも持っていなかった。
主人が洗濯できないのでタオルの替えはないし、この日まで我慢するしかなかった。

1月22日
朝食に異物が混入していた。しかも目が良く見えていないので少し食べてしまった。
どうも青梗菜の袋だったみたいで、看護学生さんが看護師さんに言ってくれて調理の方や師長さんや担当医等次々に誤りに来てくれて反対に申し訳ない気持ちだった。
理学療法(PT)リハビリでは階段を2往復し、手すりがあれば下りられることに安心した。(自宅に戻った時に階段があるため)
例えが変ですが、今までタコみたいに身体がぐにゅぐにゅだったのが、イカになったみたいに甲が出来て少し体の芯に力が入るようになった感じがする
午後母と妹が下着などを買ってきてくれて助かった。
前回来てもらったときは死んだように微動だにしなかったり、意識がまだ朦朧としていたので、元気になった姿を見せられて安心してもらって良かった。
けれど大きい声で「良かった、良かった」とは言ってほしくなかった。
入院している患者さんの中には症状が良くならない方もいるだろうし、気軽に行ってはいけない言葉なんじゃないかと思ったから。
デイルームに移動して話せばよいのですが、リハビリから帰って来て疲れていたのと首が辛くて気持ちが悪くなるので夕食で移動するまでベッドで横になっているしかなかった。
夕食でデイルームへ移動したときにそのことを話したら翌日はひそひそ声で話し、声が大きかったことを病室の方に謝ったそうだ。
病院のコンビニで何か買ってきて欲しい?食べたいものない?と聞かれたけれど食事が多くて全く何も思いつかなかった。「さっぱりしたもの」とだけ言ったらオレンジジュースを買ってきてくれたのがとても美味しかった。
夜中、隣の病室の男性が騒いでティッシュを投げたりペットボトルを廊下まで投げたりしていて看護師さん達も大変そうだった。数日前にも騒いでいたが、どうも入院を本人が受け入れられていないようだ。
安全ベルトで固定されて病院内を動き回ることは無くなったみたいで安心した。
この日はほとんど一睡もできなかった。
ベッドの壁際にもたれてベッドの柵で肩を揉むのが気持ち良かった。

1月23日
母と妹に自宅の水やりと買い物の追加をお願いしていた。
枯れているバラもある様で心配。
エレベーターホールの端っこの椅子が壁際にあるので、のけぞる様に頭を壁に付けると座っていられることが分かった。下着とカーディガンがあるので寒くなかった。
平衡感覚がおかしくて後ろに倒れるような感覚は無くなっている。
小学生の時以来家族で旅行していないので元気になったら行きたいという話をした。この日位から眩しさが無くなりサングラスをしなくなったが、眼帯は時折付けた。

1月24日
母と妹は主人が病室に着くのと交代に奈良へ帰って行った。
身体に芯?が出来たからか、胡坐をかいたりベッドにうつむきの姿勢が取れるようになった。
顔面の痺れがましになった。
主人が洗濯できないことで看護師さんに「それは出来ないんじゃなくてしないだけ、これからあなたが困るのだから言いなさい」と言われ、優しく言ったつもりが主人が泣いてしまった。一生懸命慰めた。
妹と母が来てくれたことで助かったけれど、主人としては気が付かなかったところを見せつけられて傷付いたのだと思う。
自分では精一杯やっていて、人に頼らず抱え込んでいつもこんな感じになってしまう…結局ギリギリまで我慢しても私がなんとかしないと駄目なんだなと、言ってしまった事に後悔して諦める。

1月25日
同部屋の入院患者さんが2~3日で次々変わり、仲良くなってもすぐに寂しくなる。
この土日は50代前後の病院では比較的若い人たちが同室で楽しかったのに。
リカバリールームから一緒だった隣りの方が私も難病だと知って難病申請の手続きについてアドバイスをくれた。それと6人部屋の真ん中は狭いから窓際に移動して貰ったら?実は自分も真ん中だったのを私がリハビリに行っている間に変えてもらっていたとのこと。
私は眩しかったので今までは真ん中でも良かったけれど…、たまたま午前のリハビリに向かうときに師長さんに会ったので「わがままだと思うのですが…」と願いを言ったら帰ってきたら窓際に変わっていた。月曜日は土日で退院する人がいるので移動の希望が出しやすい。広くなったのでオムツの山も邪魔にならず。歩行器も置く場所が出来た。
そして歩行器を使って自分だけでトイレに行って良いという許可が出た。
夜はご飯を食べた後眠くなるのでその時が唯一の眠れるチャンス。
消灯より早く寝て、夜1時過ぎに起きてしまうけれどこの機会を逃すと眠れなくなる。
どうも向かいの方も一緒のようだ。
ちょうど眠くなったころに主人が会社の帰りに面会に来てくれる…。
嬉しいのですが来てくれると眠れなくなるので身体が辛い。
病院にいることで病気になりそうだ。

1月26日
眼球運動は3~4mmに可動範囲が広がり、両目とも動くようになった。
物を見るときは右目は見開いた感じで左目は細く開く。
普段は半分閉じたようなとろんとした感じ。
言語聴覚療法(ST)リハビリは卒業レベル。
筋トレで肩が痛い。
この日からやっと常食(普通の食事)になった。ご飯は小盛りにしてもらうけれど多くて食べきれない。常食はメニューが自分で選べるのが嬉しい。
この日の夜に携帯電話を手元に置くようになる(それまでは主人に預かってもらっていた)

1月27日
朝気持ちの良い天気だったのでベッドから見える空を写真に撮ってFacebookに近況をUPした。短い文章だけどこれだけ打つのにも疲れて何度か休みながら時間がかかった。
救急車で運ばれてからちょうど一か月、なんとなく自分の中でこの日を退院の目標にしたかったけれど叶わなかった。歩けるようになった時には大丈夫かも!と思っていたけれど良くなる時があれば滞る時期もあって思うようには良くならない。焦らないで失敗(転んで怪我して歩けなくなったりとか)しないように頑張ろうと思ったのでその決意もあって投稿した。
理学療法(PT)リハビリではリハビリ室から正面玄関を出てスロープを下り立ち木でリターンして戻った。
今まで廊下しか歩いていなかったので気が付かなかったのですが、玄関ホールに出た途端視界が揺れて手ぶれ補正の付いていないビデオカメラみたいでびっくりした。
物凄くめまいがするけれど、足取りは安定しているので倒れそうではないのですが、こんなんじゃ生活できないとショックでした。

1月28日
午前で看護学生さんの研修が終わるので、挨拶に来てくれた。
良く気が付いて優秀で綺麗な人だった(マスクを外した顔は見ていないけど)いっぱいお世話になりありがとうございました。大変だと思うけど応援しています!寂しくなるなぁ。
そして10日間ぐらい部屋が一緒だった難病の方も退院されたが、また2週間後に戻って来るらしい。私はまだ未定なので分からないけれど、転院の予定なので会えるかは分からない。とうとう知っている入院患者は誰も居なくなってしまった。
理学療法(PT)リハビリは今日はいつもと違う先生が担当だった。首を左右に振るのは問題ないが、上にあげると眩暈で倒れそうになって支えられた。ゆっくり上げると大丈夫。慌てて信号を見上げたりしたらひっくり返るので気を付けなきゃ。
午後は友達がお見舞いに来てくれた。2時間ぐらい沢山お喋りをして嬉しかった。
学生さんもいなくなって寂しくなるのでそろそろ友達に会いたくなって何人かにメールをした。
主治医の先生が病室に来て眼球運動は8mm程度まで拡大していた。
この病室に来た時はほとんど見えていなかったので随分回復したし、眼球が動くようになって見た目も怖くなくなってきたかも。
この日から病室は年齢層が高くなったので挨拶ぐらいしかしなかった。

1月29日
ソーシャルワーカーの方が病室に来られて2月4日に前にいた病院のリハビリに空きが出る連絡があったとのこと。第一希望の病院は連絡が付かないそうで、土日はソーシャルワーカーの方が休みで埋まってしまうのも嫌だったので転院する意志を伝えた。
理学療法(PT)リハビリで正面玄関のホールに出た時は前回よりブレが少なくなっていて驚いた。勝手に目が学習したのか???「どうしてまだ歩行器を使っているの?」と言われた。PTの先生はアグレッシブにと私もびっくりするぐらい早く歩く練習をさせてもらったけれど、看護師さんたちは怪我をさせてはいけないから物凄く慎重だ。私の希望だけでは許可が下りないのでリハビリや主治医の先生から連絡がいかないと看護師さんで判断できないこともある…反対にその辺がどうなっているんだろう?と思った。
病室に帰ってから私も歩く練習をしたい希望を出し、リハビリの先生も連絡してくれたからか病室の有るフロアでは歩行器無しで歩いて良くなった

1月30日
リハビリが休みだったので階段や歩く練習を自主的にしていた。
自分が汗臭く感じて看護師さんにお風呂に入りたいと伝えたが、今日は女性の入浴日だけれど、介護が必要な人は忙しくて無理だと言われた。
看護学生さんに2度入れて貰ったけれど、私も(多分看護師さんも)頼り過ぎて入浴の計画を考えていなかった。
遠くの方で看護師さんたちが「編み込みが…」と話しているのが聞こえた。もしかしてネックになっているのはそこ?と思っていたら優しい看護師さんがいて急に入浴の許可が出た。ほぼ自分一人で出来ることも見てもらって良かったかも。それにしても浴室の背もたれのある椅子は座面が高過ぎて足がしっかり床に着かない。石鹸やリンスで滑ったら危ないと思うのにどういう事だろう?
髪を乾かした後自分で編み込みにしたw
向かいのおばぁちゃんと仲良しになって「若いのに可哀想と思っていた。頑張ってね。」と励まされて嬉しかった。
おばぁちゃんは熱が下がらないらしく何回も熱を測っていた。
夜10時過ぎ、向かいのおばぁさんからインフルエンザ反応が出ましたのでマスクをして1週間タミフルを飲んでくださいと言って起こされた。嫌だったけどタミフルを飲んだ。そしておばぁちゃんは内科の病棟へ隔離された。「うつしたかも知れないごめんね、ごめんね」と言われておばぁちゃんの気持ちを考えたら辛くなった。「大丈夫ですよ」とは言ったものの、連絡先も知らないので今元気であることも伝えられず、おばぁちゃんはずっと気にしているかもしれないと思うと生きていくために強くなるのは難しいと思った。

1月31日
インフルエンザ反応が出るかもしれないので病室はもう一人のおばぁちゃんと2人だけ…そうか…私たちも隔離されているのだ。
そのおばぁちゃんも「咽喉が痛い、うつったかも」と37度程の微熱が続いているようだ。気持ちの問題も大きいんじゃないかと思って、私はウイルスをパンチする気持ちでいてた。
人通りのない所で階段や歩く練習を自主的にしていた。
お友達にお見舞いに来てもらおうと思っていたけれど、インフルエンザの件があって見送り。
主人にアイスクリームを買ってきてもらって食べた。
デイルームで一緒に夕食も食べた。
夜いつものように眠れず考え事をしていた。
体調に波(気圧の影響?)はあるけれど目標としていた坂道や階段も上り下りできるようになった。
まだ目はハッキリ見えないし平衡感覚も変でフラフラする。けれど生活するのに慎重にしていれば何の問題も無いのではないか?もうリハビリは必要ないのでは?次のリハビリ施設でまた一から始めたら退院するのに最低1週間かかるだろうし、それよりも家に戻って早く生活を戻した方が良いのでは?転院することは反対に時間のロスでマイナスになるのでは?

2月1日
もう一人のおばぁちゃんも予定通り退院することになって、励まされた。そしてTVカードを貰った。とうとう病室で独りになってしまった。
作業療法(OT)リハビリで退院したい旨を伝えた。
急展開、「明日リハビリと主治医の先生を交えた会議があるので今からテストをしましょう」ペーパーテストは満点だったけれど、膝の上で手のひらと甲を高速で交互に叩くテストで右手だけが7回目くらいで引っかかった。2度やっても同じで、右手に障害が残るかもしれないと言われてショックでした。
家の間取りも描いた。手摺とか段差とか階段とかIHコンロの確認をした。
言語聴覚療法(ST)リハビリはもうすでに卒業レベルでしたが、「あ」の時に鼻から息が漏れるのだけが引っかかった。
理学療法(PT)リハビリは病院の前の公園の階段を歩いた後勾配の有る歩道を歩いた。
休憩することも無く歩けて自信につながった。
夜トイレに行こうとスタスタ歩いているところを丁度巡回に来た主治医の先生に見られてて「退院しても良いんじゃないかな?」と言ってもらえた。
先生は当初目が見えるのは3か月位、秋くらいまではかかると思っていたらしい。
退院できる可能性が大きくなってきた。
インフルエンザは熱が出なくて大丈夫だったようですがタミフルは飲み続けなければならなかった。
病室は5人になっていた。
1~2泊くらいの元気な高齢の方が多く、可愛がってもらって楽しくおしゃべりをした。
1時間位テレビを見た。というより目が疲れるので聞いていた。
夜眠れない。16日から3時間位の睡眠でしたが。この日は40分位しか眠れない。

2月2日
作業療法(OT)リハビリは今日もテスト。
此処は何区?と聞かれなかなか答えられない。だって意識が無い間に救急車で運ばれ転院してきたし、目も見えていなかったから全くわからない…けどカンで答えたら偶然正解した。
記憶力のテスト、『あ、よくある問題だ!』と思って注意していたのに、計算問題(凄く時間がかかった)を解いているうちに最後の言葉を忘れてしまってショックだった…。ヒントで即答したので問題はないらしいけれど、30点満点中29点で悔しかった。
緊張もあったけれどぼーっとして頭が働いていない気がして、やっぱり病気で脳の反応が鈍くなっているんじゃないかと心配になった。
理学療法(PT)リハビリは公園を歩いた。
公園の階段は下りるとき手すりが無いと心配で転ぶよりかは良いと思って掴んでいた。
部屋に戻ると看護師さんに一人でお風呂に入りましょうと言われた。
時間通りに問題なく出たけれど、これもADL(日常生活動作)テストの一つだった。
そして退院が正式に決まった
夜は手術を終えられた向かいの方の酸素ボンベの音と振動で眠れない。
一番端の方が「音が五月蠅くて眠れない」と訴えていたけれど、「あなたも明日あれを付けるんですよ」と看護師さんに言われ「迷惑を掛けるわ、申し訳ない」と落ち込んでいた。
私もまた明日も眠れないのか…と思った。
そしてこの眠れず、退院することが決まったので気も緩みだんだんと辛くなってきた。
夜中看護師さんに睡眠薬がもらえるかと聞くと「許可が下りていないので可哀想だけど我慢してもらうしかない」と言われた。
ビッカースタッフ脳幹脳炎は睡眠薬の服用に問題があるのかな?
結局全く眠れなかった。

2月3日
眠れないこともあって4日の朝に退院するのであれば今日の夜に退院したいと言ったら「それが賢明だ」とあっさり許可が出た。
作業療法(OT)リハビリは今日もテスト積み木を図形通りに並べる。時間をオーバーしたらその時点でアウト。得意な問題で最期まで出来たしとっても楽しかった。並べ方が個性的で驚かれたのもあった。
転んだ時に起き上がる動作、洗濯物を干す動作なども確認。
理学療法(PT)リハビリは公園を歩いた。今日は手すりを持たずに歩けた。
後からADL(日常生活動作)の点数を見たら95点で手摺の減点だった。
ということは最終日100点?で卒業となった。
午後のリハビリから戻って退院の準備を始めた。
最後の夕食は節分の巻き寿司だった。
夕食の後歯磨きをして着替えた。
オムツなどは病院に寄付した。
医療費通知書・領収書・明細・薬(メチコバール)を受け取る。
タミフルは入っていなかった。
ナースステーションに寄って挨拶し、会計をしてタクシーで帰った。
車に乗ると風景がどのように見えるのか不安でしたが、頭を背もたれにつけて動かないようにしているとブレや揺れで気持ちが悪くなることはなかった。
外階段、屋内の2階への階段ともゆっくり手すりを持てば問題なく上り下りできた。
クローゼットの上にいたノア(猫)がニャーニャーとないて下りてきた。
夜はノアを腕枕して久々にゆっくりと眠れた。
ちょっと強引に(1か月位早かったかも)退院したけれどやっぱり自宅が良い。



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by zakuro-ami | 2016-04-15 00:07 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(9)
④視力の回復が進み挨拶ができるようになるまで
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1月12日
連休明け、とにかく前向きに頑張ろうと意気込みリハビリの内容も充実する。
朝の作業療法(OT)リハビリの先生に「HPを見たよ」と言ってもらい涙が溢れる。
リハビリの先生から天気やニュースの話を聞くのが唯一の楽しみでした。
リハビリテーション総合実践計画書を作成するが、この日のADL(Activities of Daily Living)『日常生活動作』の点数は0点。(ひらがなで署名するが見えない)
看護学校の学生さんが挨拶に来る。(担当してもらうのは社会人枠で入学した方)
言語聴覚療法(ST)リハビリの先生の許可が出てこの日から口からの食事(ムース状)が始まる。
昼食は看護師さんにスプーンで食べさせてもらっていたが、夕食は(看護師さんが忙しそうなので)自分で食べ、歯磨きまでしたら凄く驚かれた。
ほとんど目が見えていないので、注意しながら手探りでした。
ベッドを起こして食べるのですが、首が座っていないので10分が限界…けれど食べてすぐは寝かせてくれないのでかなり辛かった。(看護師さんは首が座っていないことを分かっていなかったかも)
起きているのが辛いので早く食べて横になりたくてノルマ(3分の2以上)を必死で達成する。(ノルマを達成してゆくと食事レベルが上がり水も飲めるようになる)
午後の理学療法(PT)リハビリではベッドから車椅子に移動する練習をした。
眼鏡をかけて5㎝位まで近付ければ手首のタグの名前が読めるようになったが、すぐに疲れるため眼鏡をはずす。
主人が会社帰り(19時~面会時間の終わる20時まで)来てもらうのが申し訳なくて、「来てくれるのは嬉しいけど、明日は無理してこなくて良いよ。寂しいなら来ても良いけど」という。
入院直後の主人が悲しい思いをしたという話は「涙が出るから駄目」
次の休みに庭作業を少し頼んだ。
頭痛とこの日あたりから夜も意識がハッキリして夜中に何度も目覚めるようになる。
まだ夜はミトンと安全ベルトでベッドと固定されているので身動きが取れない。
ミトンの中で指を動かして自主的にリハビリ。
別の階から「おーい、おーい」と夜中に叫んでいる人がいて恐いが、気持ちが前向きになっているので大丈夫。

1月13日
朝、作業療法(OT)リハビリの先生が来られるのが楽しみ。
担当になった看護学生さんにこの日は髪を洗ってもらって編み込みをしてもらった。介護の仕事をしていたそうで手慣れている。話し相手位に思っていたのにとても優秀で頼もしく楽しい。
昼食は車椅子に座って食べ、歯磨きも終わったが、看護師さんが忙しくてなかなか個室には来てくれない。
首が座っていないので痛くて耐えられなくなり、気が付いたら2時間ほど汗だくでテーブルにうつ伏せになっていた。
車椅子に座っていることも出来ないことに今後が不安になる。
理学療法(PT)リハビリでは歩行器で廊下まで歩く練習をした。
少しでも歩けたことに気持ちが上向きになった。
正直まだ早いと思っていたけれど、あと一週間歩く練習が遅ければもう一か月入院が伸びていたんじゃないかと思う。歩けなくなってから19日目、まだ歩く感覚が残っている。
担当医から市民病院は救急なので長期リハビリのためソーシャルワーカーと相談して回復期リハビリテーションを行っている病院へ2月の初めごろ転院の調整を予定とのこと。
指定難病医療費助成制度の診断書の作成は2~3週間かかるとのこと。
この日の夜はぐったり、座っていられなかったことのショック…気持ちの問題が大きいかもしれない。

1月14日
安全ベルトやミトンが無くなり自由に動かせるようになって指先の感覚が戻る。
午前の作業療法(OT)リハビリは車椅子で6階の病室から1階のリハビリ室まで連れて行ってもらいコップを動かす訓練をする。
平衡感覚が無いのと首が痛くて車椅子での移動が辛く、着いてすぐは頭痛と吐き気で気持ちが悪くなる。特にうつむく姿勢がフラフラとする。リハのはじめにマッサージと首のストレッチをするのが良い。
言語聴覚療法(ST)リハビリが一番辛い。疲れてくると目が回って口の中が泡々になる。
ベッドに戻ったらぐったり、直ぐに横になって休む。
午後の理学療法(PT)リハビリでは歩行器でナースステーションを一周歩く練習をし、看護師さん達に凄く驚かれる。
車椅子で介護用トイレに連れて行ってもらった。
実は意識がハッキリしてから一度もオムツに出来ず溜まってたのですっきりした。
ベッドの脇に腰掛けて食事が出来るようになる。
昨日は座っていることも出来なかったのに一日で進化したことに驚いた。
目も壁紙の縦縞がなんとなく見えるようになる。
色はハッキリ見えず、全体に白くて眩しくずっと涙目
眼鏡は10分くらいかけていると疲れるので外す。
夜は少し肌寒く感じる。
目覚めてからずっと暑くて夜中もお腹にタオルし掛けていなかったけれど少しずつ普通の感覚が戻ってきたのか?
おかげで雪の降る中外で傾いたベッドに寝ていて6階から1階へ転落しそうで踏ん張っている夢を見る。(平衡感覚もまだ戻っていない)
目覚めてからまた別の階で叫んでいる人がいて眠れない。

1月15日
朝、点滴の針を入れる場所が無く何度も何度も看護師さんが失敗して「ごめんね~」と言って立ち去るが、そのおかげか口からの食事も始まって問題も無いことから点滴も鼻のチューブも尿のカテーテルも管を全部外してもらいすっきりする
看護学生さんに手と足をお湯につけて丁寧に洗ってもらう。管を止めるテープの粘着汚れがとれて綺麗になった。良く気の付く学生さんで嬉しい。
水も飲めるようになったが、とろみのついた食事は辛くてノルマをこなすのが精いっぱい。
午後、感染症患者が出たため急遽6人部屋へ移動になる。
高齢者の寝たきりの方ばかりの部屋で、「死にたい」「首が痛い」「仕事辞めたい」「お米買ってきて」と言い続けている方々や息子さんの名前を連呼していたり、歌っていたりでハードでしたが来週まで我慢してと看護師さんに言われ覚悟する。
高齢者の多い部屋は暖房が暑く、さらに良く陽が射すので眩しくてカーテンを閉めてもらう。
リハビリは頑張りすぎるより慎重に、転んだり人にぶつかったりしないように注意を心掛けている。
夜、主人がやっと薬を飲むためのとろみの粉を買ってきてくれるが水が飲めるようになったので要らない…。
スケジュールの確認をし、予定をいくつかキャンセルする。
ミトンも安全ベルトも管類も無くなったので自主的にベッドの上でストレッチをする。(首が痛いので頭部は動かさないように)
夜中騒がしい高齢者の部屋に居ながらこの日はよく眠れた。(6時間位)

1月16日
高齢者の部屋は訪問者が多く、また耳も遠いので大きな声で話すので騒がしい。
暖房も効いていて陽当たりも良く、眩しくてカーテンを閉めているし、ただでさえ体が熱いので暑くて仕方ないが我慢する。
目がほとんど見えていないのでこの部屋に何人ぐらいいるのか声で想像したり、ずっと文句を言っているより陽気に歌っているおばぁちゃんになりたいなぁと思ったり、オムツを替えると気持ち良くて一斉に眠りにつくのが面白かったり、1人が目覚めて話し出すと連鎖して騒がしくなったり、優しくしてくれる人にどんどん我儘になっていくし、血圧のせいで全くご飯を食べないのに血圧を下げる薬を信用できないおばぁちゃんや、わざわざオムツを脱いで排泄しちゃったりそれを触っちゃったり…頭がしっかりしていて身体が動かなくなるよりボケた方が幸せだし、次に死ぬのが恐いと思うようになった。
何だかんだこの部屋での様子を楽しみながら考え事をしていた。
可哀想に思ったベテランの看護師さんがデイルームに連れて行ってくれたのですが、首が座っていないので辛くて机にうつ伏せになっていた。
介護用トイレまで車椅子で移動だったのをリハビリのため歩行器にしてもらうようにお願いする。
夕食の時間に主人が来てくれてデイルームで食べた。
ノルマの三分の二をクリアするのに必死。
眩しいのでサングラスを買ってきてもらうように頼む。(出来るだけ派手か面白いの)
看護学生さんにしてもらった編み込みが乱れたので自分で三つ編みをする。(土日はお休み)
寝るときは平衡感覚をつかみたくて枕をはずし、食べてすぐは消化の為になるべくベッドを起こし、起きているときは20度くらいにしていた。(退院まで)
自主的にストレッチや字を書いたりお箸を持ったりの練習をしていた。
長い間水分を摂っていなかったのですっかり慣れてしまいほとんど飲んでいなかった。
この日から退院まで一日3時間位しか眠れなくなる。

1月17日
お昼に出たトンカツ(豚肉のミンチに衣をつけたもの)で一日中気持ち悪くなる。(もともとシュウマイのような蒸した豚肉でも気持ち悪くなる)ねっとりしたものばかりで辛くノルマをクリアしてレベルを上げることに必死。
この部屋は一番大変な部屋だからと移動願を出すよう看護師さんに言われる。
主人に面会に来てもらうのが申し訳なくて、週2回くらいで大丈夫と伝え、カレンダーを作り来てもらう日をメモした。
思っていたより面白くないサングラスを買ってきたけれど、かけているとずいぶん楽。
デイルームで夕食を食べるも首が痛くて直ぐにベッドに戻る。
右の顔の辺りに違和感を感じ、歯磨きのうがいのときに少し水が漏れるようになった。
主人が疲れているのが分かったので早く帰ってもらう。
夜中におばぁさんが「首が痛い、痛い、お願いします、お願いします」ずっと看護師さんを呼んでいるので何度かナースコールを押して呼んであげたり、違うおばあちゃんがオムツ脱いで排泄しちゃうのでシーツ変えたと思ったらまた同じことの繰り返しで、右隣のおばぁちゃんは私との間のカーテンを開けたり閉めたり、左隣のおばぁちゃんは歌いだしたり、それに反応して全員バラバラに話し始めたり。相変わらずで寝ていないのを心配して下さったのか看護師さんが気を遣ってくれてリカバリールームにベッド事移動して下さった。
私としてはこの部屋でも大丈夫だったのですが…。隣のおばあちゃんの昔の美しい歌(李香蘭とか月の砂漠)が聴けなくなるのが少し寂しかった。
以前リカバリールームにいた時の記憶はほとんどない。
奥に一人入院されったばかりの方がいらっしゃったが、とぎれとぎれに4時間ほど眠れた。

1月18日
午前のリハビリから戻ってきたら部屋が変わっていた。
昼食の様子を言語聴覚療法(ST)の先生が見に来られ、食事レベルが上がる。
顔右の痺れが出てきたことで右の唇の動きが遅くなる。
発音や嚥下には問題はないものの、今まで出来たいたことが出来なくなるのはショック。
右目の下あたりから鎖骨辺りまで痺れている(背中からお尻と両腕の痺れは以前からあるが、足の痺れは無くなった)
相変わらず右後ろ頭と首の痛み、それをかばうからか左肩甲骨辺りの痛みがあり、頭を固定していないと辛い、頭を下に向けると気持ちが悪くなるので食事は下を向かないように机を下げないで食器を上げて食べ、歯磨きはうがい受けを持ち上げる。
1階のリハビリ室への移動は着いたらフラフラで、帰ってきたらベッドに倒れこむ、退院するまで必死だった。
寒さを感じるようになりはじめて布団を羽織るようになる。(体温は36度後半)
部屋の前がトイレなので介護トイレから普通のトイレを利用するようになるが、まだその度に看護師さんの付き添いが必要なので申し訳なく思う。
理学療法(PT)リハビリでは平行手すりを持って歩く練習。
なるべく持たないように、平行を意識してゆっくり歩く方が難しい。
前の病院のパジャマが紛失しているらしいが、結局見つからず看護師長さんが電話して下さり弁償しなくて良くなった。
主人は疲れで会社を休んでしまったらしいが面会には来てくれた。
昨日作ったカレンダーで来てもらう日ではなかったので「来ちゃダメじゃん!でもありがとう」という。(多分来るだろうと予想はしていた)
夜はとても静かで『これが普通の病室なのか』と思う。(けれど3時間位しか眠れない)

1月19日
トイレが近い部屋は目の手術入院の人が多いのか、眼科の先生が「部屋から富士山が見えるよ。雪が降って綺麗だよ」と術後の患者さんに話しているのが聞こえ私も見てみたいのに看護師さんが一緒でないと移動できないし、この日の朝は余裕のない看護師さんで「見たいと」言ったら怒られほんの3~4mの距離が移動できず悲しい思いをするが、午前のリハビリの帰りに違う看護師さんに言って窓辺に寄ってもらい、ぼんやり富士山らしい風景が見えて感動する。
神々しい姿に病気が早く治る様に思うのです。
そうしたら本当にこの日眼球が少し動くようになる。(1mm程)
作業療法(OT)リハビリではお箸を持ってスポンジやビーズをお椀から移動する練習をした。想像していたより簡単に出来た。(手先を使うのは問題なく器用にこなせる)
理学療法(PT)リハビリでは手摺無しで歩いてみる。初めはスポーツ選手が使う片方だけの松葉づえを試してみたが、平衡感覚がおかしいので片側に重心をかけると転びそうになる。何も持たずにペンギンみたいにパタパタ歩く方が出来た。
足を開いて歩いているのが気になるが、自然に閉じてくるらしいので転ばないように歩く感覚を体になじませることに気を付けてみる。
パンツ型のオムツに変更する。(もう普通のパンツで大丈夫なのですが主人が洗濯出来ないため暫く我慢する)
主人が面会に来てくれるが、またカレンダーで来てもらう日ではなかったので「来ちゃダメじゃん!でもありがとう」という。(多分来るだろうと予想はしていた)
手帳を持ってきてもらったのでスケジュールの確認、メールの内容を伝え代筆してもらう。

1月20日
日々視力が回復しているのが分かる。
一昨日はこの部屋に何人いるのか分からなかったけれど、昨日は人数が把握できるようになり挨拶し、この日は向かいの方の髪の長さまで分かるようになる。
明るい間起きているときは眩しくて涙目でサングラス、ベッドに横になると眼帯をしていた。
眼帯は自主的でもともと乱視と斜視で右目でしか物を見ていないのですが、子供の頃学校から帰ると右目に眼帯をして左目を動かす訓練をしていた。
物が見えるにつれて気が付いたら左目をつむり右目しか使っていないことに気が付き、このままでは左目の動きが悪くなるんじゃないかと心配になったからです。
隣のベッドの方はリカバリールームから一緒で同じように難病らしいが、隣だとカーテンで仕切られているので話が出来ない。
旦那さんやお子さん、お友達が毎日のように訪れていてとても羨ましい。
私もそろそろお友達に来てもらおうかなと思い始める。
看護学生さんが優秀で嬉しい(かなり頼っている)
隣りの方の学生さんはまだ若くて、とても良い子ですが社会経験の差を感じる。
同部屋の方はだいたいTVカードを買ってテレビを見ているのですが、私は目の回復に良くないだろうし、本も読めず、音楽も聞かず、ひたすら考え事をしていた。
リハビリで疲れていることもあって時間はあっという間に過ぎていく感じがする。
そして病院の食事が多くて困っているのに、他の方はだいたい完食することに驚く。病気のせいで食べられないのではなく、普段から小食だったことに気が付く。フルーツとかデザートも毎日食べるものなのか?ダイエットをしているわけではなく、一日(一回ではない)で食べるお米は50g~100g程度だったから、自分の体の燃費の良さ…つまり代謝の悪さに悲しくなる。おかずはなるべく食べ、お米は最低でも一口は食べるように頑張った。
ノルマがあるので必死で食べるが、入院中に10kg位太ったんじゃないかと思う。
この日は主人は来ず『ゆっくり休んで~』と願う。
(主人は病院の前に着くのにバスが嫌いで、会社の帰りは地下鉄の駅から公園を横切って来るし、面会時間は20時までなので40分位しか居られない。帰りは一時間かけて家まで歩いて帰る…。)
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by zakuro-ami | 2016-04-14 22:14 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
③意識がはっきりして状況を把握するまで

1月4日
横浜市立市民病院への転院眼球に動きが無く握る強さから脳幹に影響と診断。
ミオクローヌス不随意運動(複数の筋肉群が同時に素早く収縮する自分の意志とは無関係な運動を起こす。てんかん発作症候の一つ。しゃっくりも同じ。)
ルンバール(腰椎穿刺)検査
両腕を上げる検査では左が弱い。
深部腱反射消失(脚気を見るときのゴムハンマーで叩くが反応なし)
身体抑制(不随意運動による転落や点滴・カテーテルを抜いてしまわないように防止)腰に安全ベルト・ミトン型手袋
酸素吸入
点滴注射
鼻腔栄養
ビッカースタッフ型脳幹脳炎の診断。(生命中枢である脳幹を主座としておこる 炎症性自己免疫疾患・指定難病)
※先生も30年医師をしていて初めて担当、教科書でしか見ない病気とのこと。
検査の後HCUへ移動。《high care unit》高度治療室
単語で喋るが意識はない。
「横向きたい、首、下」自分で枕を引き抜く。
「痰、とって」
「咽喉、渇いた」水が飲めないため脱脂綿を湿らせたものを口にあてる。

1月5日
弾性ストッキング・間欠的空気圧迫法(肺血栓塞症防止のため)
不随意運動無し
リハビリが始まる
※この日のリハビリは記憶にない。
※文章ではなく単語で話していたらしい。
まだ意識が朦朧としていて現実か夢なのか分かっていない状況ですが、単語で会話が出来るようになる。
「喉、渇いた」嚥下障害で水が気管から肺の方へ流れ込み、誤嚥性肺炎を起こす恐れがあるため口から飲めない
「水、欲しい」
「拭いて、ティッシュ、目のまわり」まだ全く目は見えていない。
「首、上げて、枕」
首の上下の安定を気にする。
 ※首が座っていないのと平衡感覚がつかめなくなっているので枕があると不安定な感覚になる。
 ※いつも左側を向いて寝るので自分の手を枕にする。自分の手だと安定(安心)する。
 ※頭側の方にずり落ちそうな感覚が20日位まで続く。
病気を説明されて「わかった、頑張る」「本当?」
 ※この辺りからぼんやりと数分間記憶がある。
飼い猫(コペルとノア)の話をすると笑顔の表情を作る。
ノアが主人の膝に乗る様になった。「寂しい×××」(呂律が回らない)
 ※ノアは甘えん坊なので私が居なくなったので寂しくて主人の膝に乗ったと思うと伝えたかった。
「会社、行って」夢か現実かはっきりしなくても一番気にしている事。
「寂しくない?」と聞かれて首を横に振る。
この日は母と妹が来てくれた記憶はない。(5日~7日の面会時間)
妹と母は私を見てもはじめ別人だと思って他のベッドを探したそうです。
微動だにせず、目は開けているけれど置物のようで生きているとは思わなかったらしい。

1月6日
HCUからリカバリールームへ移動。
看護師さんに名前と場所、日付を聞かれるが間違って答えている。
リハビリの記憶は無し。
まだ意識はぼんやり。
午後から父・母・妹が来てくれる。
「良かった、良かった」と言っている言葉が聞こえて、自分が助かったことを知って安心する。
 ※この言葉が後に前向きな思考になりました!
「暑い、冷房つけて」
 ※身体がとても熱い。(熱は36度後半~37度前半)
 ※不随意運動でベッド柵に打ち付けないよう四隅をフエルトで覆っているのと、マットとシーツの下に尿漏れ防止のビニールシートが敷いてあるので熱がこもる。血栓防止の弾性ストッキングで足が熱い。 ※看護師の方がマットを多用して向きを変えてくれるのですが、首が座っていないので頭が痛い。(凄く痛がっていたらしい)
 ※平衡感覚がつかめないのでベッドの昇降も分からない。
 ※腰に安全ベルトでベッドに固定されているので自分で向きがかえられないし、手にはミトンや管で繋がれているのでフトンも着られないしナースコールも押せない。
とにかく死にそうなほど喉が渇いている。(水は飲めないのでスポンジで湿らす)
 ※この頃は町や人が渇いて砂漠になっていくような夢を見ていた。
母と妹にうちわであおいでもらったり、アイスノンを足元に置いてもらった。
 ※この日の記憶もとぎれとぎれに数分程度。
「おむつがMだと小さい?」と母と妹が話しているのが聞こえて「L」と声を振り絞って言ったのを覚えている。
未だ夢か現実かはっきりしていない状態。
 ※自分の目が見えていないことを知らないので、目を開けていても起きていると思っていない。
 ※ここは病院なのか、水場が部屋にあるなとか、係りの人は常にこの部屋にいないとか、布団を着ていなくても風邪をひかないのは温度調整がされている空調設備がある部屋だなとは思っていた。
点滴の針を刺す場所が無くて看護師さんたちが苦労しているのを申し訳なく思っていた。
主人が来た時に「何か話して」と言う。
 ※徐々に頭がクリアになって来て、現実か否かを確認したかった。

お守りがどんどん増えてゆく。
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1月7日
この日のリハビリも記憶が無い
死にそうなほど喉が渇いている。
 ※水は飲めないので母に何度もスポンジで口を湿らせてもらう。(硬く絞り過ぎて全く潤わない)
 ※ほんの一滴でも良いので水が欲しくて、咽喉の動きは自分では大丈夫と分かっているので悲しかった。
身体が熱い。
 ※妹にうちわで扇いでもらうが顔に風があたると息が出来ない。
平衡感覚がつかめないのでベッドが少し揺れただけでも気持ちが悪くなる。
父と看護師さんが話しているのを耳を澄ませて聞いていた。
 ※後に看護師さんにこの時の話を覚えていると言ったらビックリされた。この病気が珍しくて興味があるらしい。
記憶がはっきりしてきたのはこの頃から、けれどいつの間にか家族が来ていつの間にか帰っている、数分起きては眠るを繰り返していたと思われる。
懐かしい家族の関西弁に心が和む(夢に出てきたお米の妖精に似ていると思った)
多分夕方ごろ、豆粒程の大きさで光を感じるようになる。
夜には視界が3㎝位に広がる。
そして意識もはっきりとし、話し方が自然になって短い文を話すようになる。
 ※この日の夕方に急激に良くなる(目に光を感じたからかな?)
「脳幹脳炎について教えて」
 ※主人から意識を失っていた話を聞いた時、正直そんな漫画みたいなことになっていたなんて面白い!と思いました。ますます夢か現実か分からないけれど、こうやって生き返った意味は『絵を描きなさい』それが答えだとすぐに理解した。
「髪を切りたい」
「爪切って」
「今度眼鏡持ってきて」※主人の指2本がぼんやり見えたので。
心配な急ぎのスケジュールの確認。
「ボタニカル」※ボタニカルアートの教室の件で連絡して欲しい。
「人形教室」※生徒へ連絡して欲しい。
「年賀状出して」
「コペル(猫)病院」※薬が無くなるから。
「これ、現実?」3~4度繰り返し聞く。
 ※スケジュールなど現実で心配なことを聞きながらもまだ信じられない。
「夢を見た、辛い夢を見た、今、夢、楽」
 ※意識が戻るまでの間たくさんの恐い夢を見た。私の場合知っている人は1人も出て来ないので現実と混乱することはなかった、けれど精霊とかその土地に根付いた念みたいなもの(蟲師みたいな世界)とか自然の驚異のような自分ではどうにも出来ない怖くて苦しい夢。今見ている夢は怖くなくて楽になった。
「それ(ナースコール)押せない」※ミトンをしているので。
「しものせわ」
 ※おむつを替えて欲しいのに汚れていないので変えてくれない。暑くて蒸れているので看護師さんにお願いするけどやっぱり変えてもらえない。(おむつを替えてもらうととても気持ちが良いのに…)
アイスノンを新しいものに変えてもらう。
「最後に反対向けて」「専門家呼んで」
 ※向きを変えて欲しいけれど安全ベルトで腰を固定されているので主人では無理で看護師さんを呼んでほしいという意味ですが、目が見えていないので向きを変えてくれているのが看護師さんだと分かっていなかった。
 ※結局自力で向きを変える
夜中自力で向きを変えることが出来るようになったので、手を枕にして横を向き、若干下に顔を向けると唾液で喉の渇きが楽になることを覚える。以降この方法で水が飲めるようになるまで耐える。
ミトンをしているため布団が上手くかぶれない。首が座っていないので右後頭部が痛くて時間ごとに少しづつ向きを変えないと辛いのと、平衡感覚がつかめず枕をすると頭が宙に浮いているみたいで不安定で酔いそうになるので自分の手を枕にしていると手も痺れる。布団が暑くてお腹に厚めのタオルだけになり、ベッドのまわりのマットや下に引いてあるビニールのシートで動く度に更に熱くなって辛い。行儀は悪いがベッドの柵に足を掛けるのが涼しい。この日はアイスノンを太ももの下に引いてしのいだ。
ミトンでナースコールも押せないので「すみませーん」と何度も看護師さんを呼ぶのも申し訳なかった。
夜中に声を出して看護師さんに怒られたり、看護師さんたちが私のことを話しているのが聞こえるのも辛かったけれど、ギリギリまで我慢して仕方なく呼んでいるので『これが生きる力だ!』と思うようにしていた。

1月8日
朝から意識がはっきりしている
看護師さんに日付や場所を聞かれるが、「分かりません」と答える。
 ※むしろ今までは何と答えていたのか???
点滴の針が入る場所が無く看護師さんが何度も苦労して入れているのが申し訳ない。
視界が10㎝位に広がる。
リハビリの先生が来られて、優しい声で話されるのがとても良かった。
天気やニュースの話を聞くのが楽しくて、絵を描いていることを話した。
ベッドごと地下の検査室に運ばれる。
まだ明暗くらいしか視力が無いので状況が把握できない。
何の検査をしたのか分からないけれど、とても寒いのを動かないように頑張っていた。
 ※レントゲン?
その後お風呂に連れていかれたのですが、ストレッチャーで吊られ、何だか分からないうちに終わった。
 ※後で看護師さんに「怖かったでしょ?」と言われたけれど、どちらかというと楽しかった。
看護師さんに髪を乾かしてもらって髪を結ってもらうときの方が辛かった。
 ※首が座っていないので座っていられないし、寝ている間に不随意運動で髪にブラシが通らないほどもつれていた為、ガシガシとかれて頭が痛い。
 ※髪が切りたかった。
午後のリハビリは「今から始めます」の次に「終わります」と言われて凄く驚く。
 ※どうもその間に寝ていたらしいw
 ※後で聞いた話、「それまで単語で話していたのに、ある日敬語になっていた。」のはこの日だと思う。
眼鏡をかけてみるが何も見えず。
夜中の状況は前日と同じで辛かった。
平衡感覚もずっと変で頭側にずり落ちそうだったので、落ちそうで踏ん張っているような夢を見ていた。

1月9日
土日祝はリハビリがお休み。
この日以降、朝に看護師さんに日付と場所を聞かれてハッキリと答えられるようになったと思う。
主人が連休でゆっくり話が出来た。
「今日コペル(猫)を病院に連れて行ったよ」と言われ驚く。
 ※自分が長い間意識を失っていたことを知らないので『先日病院に行ったばっかりなのに…』と思っていた。
 ※まだ現実か夢か疑っていたのではっきりさせようと試みる。
届いていた年賀状やメールを読んでもらう。
展覧会の予定や教室などスケジュールの再確認。
「写真撮って、見えないから記録として」
 ※自分がどのように見えているのか気になった。
眼鏡をかけると10㎝位のところがぼんやり見えた。
瞼を開けると黒目が上下に動いた。
「今日病院に泊まって」→個室じゃないので無理(リカバリールーム)
「恐ろしい夢を見ていた。昨日もちょっと怖かった。」
アイスノンでお腹を下す。
喉の渇きはスポンジで喉を潤してもらう。
起きている時間が長くなり、夜が長く感じる
目がほとんど見えていないので自分のいる空間をいくつも想像するような夢を見ていた。

1月10日
昼間ミトンとお腹の拘束具をはずしてもらう。
使っていない枕や布団を整理してベッドが広々とする
視界が全体に広がる
「昨日は明るさと(指の)本数位、今日は部屋の大きさと間取りが分かるようになってきた。昨日より手が動かせるようになって意識がハッキリしてきた。」
巡回で来た担当医に「目は時間がかかるけど良くなるから」と言われる。
右目が上下左右0.8mm程動くようになる
沢山見た夢を話す。
 ※意識がはっきりしない間に見ていた(15冊くらい本が書けそうな)夢を忘れないようにメモしてもらう。
「これって現実だよね?」
 ※そして事態を受け止める

1月11日
個室に移動。
昼間ミトンとお腹の拘束具をはずしてもらう。
眼鏡をかけると昨日より見えるけれど疲れるので1~2分ではずす。
 ※色や立体感が無く白地に線で描いたイラストのように見える。
耳が痒い、髪が邪魔。
 ※痺れはあるけれど身体の感覚が戻ってきた
ベッドの頭側を上げても頭側にズリ落ちそうな感覚は変わらないし、上げると首が座っていないので痛い。
主人に代筆してもらい、メールを4件送信する。
後遺症が残った時の自宅改装案を話す。
「昨日話し過ぎて疲れた。」
 ※この日は長く話すと疲れた。
 ※主人の3連休の間に聞いておきたいことを確認し、話しておきたいことを伝えて安心し心の整理が出来た。

この時期の症状。
・全身の痺れ
・視力は近くが輪郭程度(眼球もほとんど動かない)
・頭痛(右後頭部)
・体が熱い(体温は36度後半)
・平衡感覚が変(頭部にずり落ちそうな感覚)
・首が座っていない。
・若干呂律が回らない。
・凄く疲れやすい。

※連休明けの明日からまたリハビリが始まるし、まずは水が飲めるように頑張ろう。
※生き返ったのには意味があるはずだから、元に戻れるように頑張ろう。今までは新しいことに挑戦してきたけれど、これからはじっくり腰を据えて、これまで培ってきた技術を生かす折り返しの機会なのではないかと思う。
※この病気の患者は先生もですが看護師さんも初めての担当で分からないことが多いので、自分の症状は自分で考えて工夫しようと決める。
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by zakuro-ami | 2016-03-27 12:08 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
②入院から病名が分かり転院するまで
 ※意識不明のため主人の記録と診療明細書より

12月27日
脳神経外科病院に入院
※頭部断面、脳に影は無く正常
※左副鼻腔下部に影(膿)

12月28日

留置カテーテル
髄液検査によりウイルス性脳炎と診断
血液製剤、献血グロベニンを静注(重症感染症の場合、患者本人の免疫グロブリンが大量に消費されてしまい病原微生物に対する排除能力が低下する為、グロブリンを外から補充する)
アシクロビルを限界ギリギリまで点滴(ヘルペスウイルスに効果的な薬)
肺炎(細菌)対策
ウイルス5種検査
※衛生面から面会滞在時間が30分までに限定
※母が言うには顔面蒼白で描いた眼みたいに眼球が動かず人形みたいだった。

12月29日
熱が下がる。
手足とも不随意運動で足に痣や一秒ごとに舌を出す。
酸素吸入

12月30日
腕を叩きながら呼びかけると右目を2~3mm開く。
褐色の痰

12月31日
右手を握る反応
左右とも足をくすぐると丸める。
「いっぱい話しかけてください」

1月1日
声掛けに反応
苦しい時には右腕を折って上げる。
トマトジュースみたいな痰

1月2日
声掛けに反応
名前を聞くと不明瞭だけれどもフルネームで答える。
繰り返し何か言うが聞き取れない。
呼吸はヒューヒューというレベル。

1月3日
不随意運動が激しい為鎮静剤を注入
発汗
腹部CTで抗NMDA受容体抗体脳炎(映画エクソシストのモデル)ではないと判明。
「ぷしぇしぇ」という謎の言葉
「起きる」「起こして」「トイレ」「ごめん」「おしっこ」と言う。
※トイレを我慢している夢を何度も見ていたのはこの頃だと思う。

1月4日
ウイルス検査(水痘・サイトメガロ・ヘルペス等)すべて陰性という結果から自己免疫系の脳炎の可能性が高まり、神経内科への転院が望ましい。
急遽、横浜市立市民病院への転院が決まり救急車で申し送りとなる。
※ゴミと一緒にトラックで外に運ばれた夢を見たのはこの時じゃないかと思う。一瞬外の肌寒い感じがしたのと、トラックに一緒に乗った看護師さん2人に優しくしてもらって「助かった」と思った。看護師さんたちは表情が無くて目や口の中がブラウン管TVの砂嵐みたいだった。

脳波
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画像診断 CT撮影・MRI撮影・X-P撮影
点滴注射 ビーフリード・セフトリアキソンナトリウム・テルモ生食TK・グリせノン・アシクロビル・大塚生食注・ラニチジン・ソルメルコート・アレビアチン・献血グロベニン・生理食塩液
処置 喀痰吸引・留置カテーテル・酸素吸入
検査・病理 血液検査・心電図検査・呼吸心拍監視・血糖・経皮的動脈血酸素飽和度測定・髄液検査・腰椎穿刺・単純ヘルペスウイルスDNA抗原検査・水痘帯状ヘルペス検査・サイトメガロ検査・PL・脳波検査・血液学的検査・免疫学的検査・B-C反応性蛋白・梅毒トレポネーマ抗体定性・HBs抗体定性・HCV抗体定性・微生物検査・糞尿便等検査・生化学的検査10項目以上 他
リハビリテーション
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by zakuro-ami | 2016-03-10 01:37 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
①先行感染(風邪?)から意識を失うまで

ちょっと記録としては長くなってしまうのですが、気持ちの状態も残しておきます。

12月前半は制作て徹夜したり、ギャラリー巡りをしたり、食事会があったりと毎日忙しく動き回っていた。

12月16日
お友達のライブへ行く。
仙骨滑液包炎でずっと座っていられるか不安だったので一番後ろの端っこに居た。
アンコールの時に私に気付いて手を振ってくれてとても嬉しかった。
暫く活動を休止するらしく、最後に行くことが出来て良いライブで大満足でした。
久しぶりに会う友達もいて、探していた人にも会って目的も果たせてホッとする。
出口付近で大声で喚いている人がいて嫌な気分で頭の中がぎゅっと痛くなる。
疲れのせいか出口を間違えて転んだ。
帰ってから微熱があったので早めに就寝。
夜中39度まで熱が上がる

12月17日
38度後半の熱が続く。
熱と咽喉の痛み。
鼻からズルッと大量の血痰が出て、脳味噌が融けたのかと思う程。
インフルエンザとは明らかに違う嫌な感じ。
友達と三浦半島へ行く予定をキャンセル。

12月18日
39度の熱と咽喉だけが痛い
人形教室を休講。
夕方近所のおばぁちゃんが救急車で運ばれて行った。
窓から眺めながら心の中で『私も乗せて行って…』と呟いた。

12月19日
38度後半の熱と血痰。
朝のゴミ捨ての時に昨日運ばれたおばぁちゃんが施設に入るため、もう家に戻らないと聞いてショックを受ける。
おばぁちゃんが何時も座る窓際から我が家の薔薇が見えるのを楽しみにしていると聞いていたから。
熱があって辛いのに食材が無い為いつもなら15分の坂道も1時間位かかってフラフラになりながら買い物へ行く。(こういう時に動いてくれない主人に凄く怒っていた)


12月20日
37度前半の微熱。
微熱だと思っているけど、平熱が34.9度~35.1度なので無理しないでいた。

12月21日
36度に下がり、鼻水が出る。
大掃除やクリスマスの準備や庭の薔薇など気になっていたけれど、普段の家事と年賀状の準備くらいしかできないでいました。

12月22日
38度の熱と鼻水。

12月23日
36度に下がり、右顔面の鼻の奥が少し痛い

12月24日
熱は無いけれど鼻に違和感があったので耳鼻咽喉科へ行く。(内科の病院が休診日だったため)
ジェニナック錠(細菌を殺し感染症を治す作用がある)を服用して蕁麻疹が出る。
実はこの薬で蕁麻疹が出たのは2回目。
この日は忙しくて夕方蕁麻疹が治まってからフラフラになりながら出かける。
裏のおじいちゃんに毎年ケーキを焼いて喜んで貰っているけれど、今年は買ったケーキのお裾分けになってしまった。
何とか用事を済ませてぐったりしていると、身体が冷えて周囲が暗く感じる。
主人の帰りが遅く、結局一人で寂しくローストチキンとサラダを食べて寝る。

12月25日
朝から夕方位までぐったりして寝ていた。
夕方庭の掃除と少し薔薇の手入れをする。
主人が食べなかったローストチキンを私の夕食にする。
冷たいままだったからか全く美味しく感じない。
妹から電話があって長い時間話をする。
何故か「多分大丈夫だと思うけど、もし私に何かあったら父と母を宜しく頼むね」と伝えると、疲れたので歯を磨いて寝る。
日付が変わったころ主人が帰って来たので起きてご飯を作るもぐったりして力が入らない
クリスマスケーキを一口食べて寝る。

12月26日
朝起きられなくて朝のゴミ出しが出来ず珍しく腹立たしい気持ちになる。
何時もなら腹を立てるのではなく自分を責める性格なのに、体調が悪いのに主人が手伝ってくれないからなのか、自分の怠慢へなのか、外側へ怒りをぶつけたのは今から考えると既にこの時には身体が動かなくなっていたからなのです。
そのまま眠っていたのか夜に「お粥食べる?」と起こされてビックリする。
ビックリしたのは主人がお粥を作れたということにです。
身体を少しだけ起こし一口だけ食べて「もういらない」と言ってそのまま寝る。
夜中トイレに行こうとしてベッドから落ちる。
身体が動かないし力が入らない。(痺れるような感覚はない)
両脇を抱えられて引きずられてトイレに連れて行ってもらう。
蕁麻疹がでた薬の副作用が原因ではないかと思い主人に話するけれど呂律が回らず伝わらない。
その時書いた字↓
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何度も何度も必死に「副作用」と言ってやっと伝わったところでベッドに戻る。
夜中主人に「トイレ?」と言われる。(どうも私が呼んだらしい)
トイレに連れて行ってもらうけれど、今度はトイレットペーパーが巻けないので主人に取ってもらった。

12月27日
朝8時半過ぎ「救急車呼ぶ?」と主人に聞かれて頷く。
薄く開いた右目の眼球が動かなくなっていて主人もオカシイと思ったようです。
もうこの時には目は見えなくなっていました
救急隊の方に(階段があるので)吊るされて外に出た肌寒い感覚と、出発していない救急車の中にいる記憶を最後に意識を失いました。


呂律が回らくなった時点で直ぐに病院へ行くべきでした。
※この病気では複視が出る人が多いのですが、私は強い乱視と弱視のため右目でしか見ていないため、複視は出なかったのではないかと思っています。
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by zakuro-ami | 2016-03-08 23:50 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)
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12月中旬に高熱が出て、年末年始は意識を失っていました。
ビッカースタッフ型脳幹脳炎という原因不明の難病で、リハビリを経て退院し、今は自宅療養しています。

一週間前までは右目が半開きで遠くを見ているようでしたが、見た目は普通になりました。
家事も一通りこなせるようになりました。
けれど未だに手の痺れと視力が回復していません。
視力は焦点が合う距離が70㎝先のみで辛い、疲れてくると複視が出るのと、歩くと手ぶれ補正の付いていないビデオカメラみたいな揺れで酔いそうです。
細かい絵を描くのはまだちょっと難しいです。
回復には半年~1年かかる病気なので気長に待つしかありません。
後遺症として手の痺れは残るかもしれないです。

ビッカースタッフ型脳幹脳炎は意識が戻るまで本人もですが、家族が大変辛い思いをする病気です。
ここまで回復できたのも担当医の先生、看護師さん、リハビリの先生、看護師研修の生徒さん、同じ病室の方々、お友達、実家の家族や親戚、そして旦那ちゃんのおかげで、心から感謝しています。


ビッカースタッフ型脳幹脳炎は担当した先生も「教科書で見るレベル」と言うくらい珍しい病気で、30年間医師をしていてはじめてとのこと。
検索しても情報があまり出て来ないので私の経緯も記しておこうと思います。

まずは難病情報センターから引用
ビッカースタッフ型脳幹脳炎(平成22年度)

1. 概要
ビッカースタッフ型脳幹脳炎は、生命中枢である脳幹を主座としておこる 炎症性自己免疫疾患である。外眼筋麻痺や運動失調を伴うことが特徴的で、多くの例は未治療でも回復傾向を示し、一過性の経過を示す。四肢脱力などの後遺症 をきたす例が一部にあり、また、急性期に合併症により致死的となることがある。

2. 疫学
本邦での年間発症者は50-100人程度と推定される。

3. 原因
少なくとも一部の症例は、ギラン・バレー症候群と同様に血中自己抗体(抗ガングリオシド抗体)が介在する疾患と捉えられているが、詳細は不明である。

4. 症状
眼筋麻痺や運動失調、意識障害、四肢麻痺、顔面神経麻痺、構音障害などが高頻度である。

5. 合併症
急性期合併症として肺炎や尿路感染症、呼吸不全、深部静脈血栓症、肺血栓塞栓症、不整脈、後遺症として四肢麻痺がある。

6. 治療法
ギラン・バレー症候群の治療法に準じて、免疫グロブリン大量静注療法や血漿浄化療法がおこなわれる。


※同じ病気でも症状が違う人も多いみたいです。
私の症状は『ビッカースタッフ型脳幹脳炎2』に続きます。
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by zakuro-ami | 2016-02-29 22:20 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(0)