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箱庭の森

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薔薇と猫にかこまれ、絵や人形を童話のように創作する日々

ビッカースタッフ脳幹脳炎8

意識を失ったあの日からちょうど一年が経ちました。

あれから物が見えにくくなって目に負担になると思い、あまりSNSは見ないようにしています。
お医者様は20歳を過ぎたら老眼が出てきてもおかしくないから普通だと言いますが、去年の12月は見えていたものが急に見えなくなったのは病気が原因と言えるとのこと。

この数か月の状況
7月中旬位までは週一回位は出掛けて元気になっていたのですが、だんだん暑さに弱っていました。一度出掛けると3~4日寝込む。ビックリするくらい眠っていられる。(最長18時間)下旬、炎天下に町内の木端細工の指導員をなんとか頑張って乗り切りました。

8月はずっとぐったりして病院と人形教室の授業にしか出かけられませんでした。
月2回スーパーの宅配サービスを利用して、無理しないようにしていました。
体がダルくて階段が疲れる、毎晩足がつり痺れる、力が入っていなくて物をよく落とすし、疲れると呂律が回りにくい、頭痛(後頭神経痛)、匂いに敏感になる、2度程心臓が痛くなる、生理前症候群もひどくなる、太陽アレルギーで15分外に出ると顔に水ぶくれができる(光線過敏症)、手湿疹(アレルギー体質になった)などもあった。
順調に良くなっていたのに体に力が入らなくなって、この頃が一番精神的ダメージが大きかった。

9月は少し動けるようになる。
誘発筋電図検査はギリギリ普通の人の数値に入るようになってきた。一度損傷た末梢神経は4週間前後でピークに達し、6~12ヶ月前後で症状が落ち着いて安定した状態になります。重症例では回復までに長期間を要します。後遺症で両下肢麻痺(約1割の症例で発症1年後の時点で自力歩行ができない)、複視、四肢筋力低下が残る方もいらっしゃいます。私と同じ時期位に入院されていた方はてんかんが出ていました。その人も夏の暑さで疲れて出かけると寝込んでしまうらしいので同じだなと思いました。
末梢神経は1日に1~2mmずつくらい伸びるらしいので気長に待つしかないのです。
取り敢えず一年を目安に無理しないでおこうと自分の心に言い聞かせる。

10月入院中に『家族で旅行したい!』を実現するが行く前の計画段階から猛烈に疲れる。
国内だけど長い時間の電車は辛いので飛行機にした。

11月元気になってきたけどコペルが調子を崩し入院し動物病院を何度も往復。
奇跡的に回復し目が離せないのに野良猫を保護したりで忙しかった。

12月更に元気になって時折駅から坂道を走って帰りたい!と思う程に。
けれどこの一年間であれもこれもと気になっていた事が溜まり過ぎて、手を付け始めるも以前より二倍くらい時間がかかり、途中で何度か力が抜けたように休憩をする。筋力が落ちたからかな?
梯子にのぼったり、ノコギリ挽いたり、ペンキ塗ったりやっと本来の自分に戻ってきた。

現在の状態
やっぱり疲れやすい。
疲れていると呂律が回りにくい時がある。
指先の痺れはまだ残っている。
副鼻腔炎の影響か右目をつむる度にボコボコ音がする。
アレルギーが出やすくなったため、花粉症対策の目薬をさし始める。
(バタノール・来年の花粉は多いらしいので注意です!)

原因を考える
昨年のクリスマスイブの日の朝、熱と咽喉の痛みと副鼻腔炎で耳鼻科に行き昼に抗生物質のジェニナックを服用した。
蕁麻疹が出たのでそれ以降は飲んでいない。
私はこの薬での蕁麻疹が2度目なので、アナフィラキシーショックを起こしました。
あれからキノロン系の抗生物質には注意するようにしています。
キノロン系の副作用に瞼の腫れというのがあるのですが、この日の夕方に鏡を見た時に左目の瞼が少し下がっていて(眼瞼下垂)気になっていました。
副作用のせいなのか、ギランバレー症候群の亜種のフィッシャー症候群が原因なのかは不明ですが、私の場合は意識を失うまで複視も手足の痺れも頭痛も味覚障害も下痢も無かったです。
普段からある凄く疲れているくらいの身体かダルさで25時位に寝て…朝7時にはもう身体が動かなくなっていた。
土曜だったのでそのまま眠ってしまって…独り暮らしだったらあのまま死んでいたかもしれない。
フィッシャー症候群に意識障害(中枢病変)を合併しビッカースタッフ型脳幹脳炎へ進展するのですが、フィッシャー症候群の症状が出ていればもっと早く病気の名前が分かっていたのではないかと思っています。(年末年始を挟んでしまったし。)

私の場合退院してから2週間後位に複視が出ました。
無理矢理(必死で頑張って無理して)退院したので本来ならもう一カ月間位は様子をみるべきでしたが、不眠で違う病気になってしまいそうでしたので…。(この病気は睡眠薬が効かないらしい)
ビッカースタッフ脳幹脳炎って脳幹が炎症を起こしているということはわかるけど脳幹(延髄、橋、中脳)のどの部分なのでしょうね?延髄は舌下神経、橋は顔面神経、中脳は動眼神経ってあるから全部なのかな?
首が据わらなくなるのもそのせいですよね。。。首を固定するサポーターや頭部支持のある車椅子があれば少しは楽だったのにと思います。
ピークを過ぎたら良くなっていくというのは違っていると思う。起き上がれるようになってから顔面が痺れたし、退院して2週間以上経ってから複視が出た。ギランバレーの症状が出た後にフィッシャー症候群を併発、意識障害を起こしてビッカ―スタッフ脳幹脳炎というのが多いと思うのですが、私の場合逆行している感じ。


ギラン・バレーの発症初期に臀部の痛みがある場合かあるというのを聞いた。
私は10月末位から仙骨滑液包炎?で尾てい骨のまわりが痛くなり12月中旬がピークでした。
末梢性神経障害はすでに起こっていたという事なのかな?
因みに今でも痛いです。
長い時間座っていたら立つときに痛くてなかなか立てない。
痔の人が使うドーナツ型の座布団は引っ張られて余計に痛くなるし、低反発も押されて痛いので柔らかくて深いソファーが一番まし。


痺れは無かったというのは正確には違う。
2006年に椎間板ヘルニアになって左側下半身がずっと痺れているし、5年ほど前から頸椎の方も悪くなって左半身頭のてっぺんから足の指は常に痺れていた。(10年前から末梢神経とは付き合っている)
不思議と現在は両手だけで、足の痺れは無くなった。
一生左半身の痺れが続くと覚悟していたのに反対に良くなったようで不思議。

「仰天ニュース」でピアスでフィッシャー症候群になったというものがあった。
私もちょうど一年前位にピアスの穴をあけたけれど、金属アレルギーがあるのかずっと膿んでいて血が混じった感じだけどこれは違うと思う。入院中に塞がったので先月またあけに行った。

この十数年年末になると調子を崩すので年の節目が怖かった。
秋に頑張り過ぎると冬にしわ寄せが来る。
一昨年のクリスマスも日本のホラー映画みたいなにうすら寒くて薄暗く感じていたので、昨年も同じだなと思っていた。
この時期は主人の帰りが遅くて(日付が変わってから)一人で居るからなのか?
一昨年も2年連続チキンに味が無くて(3年前は美味しかった。)全く美味しくなかったので味覚障害があったかは分からない。
(発病前に味覚障害があった方がいる)

子供の頃病気ばかりしていたから今生きていることの方が不思議に思う。

もう一つ、未だに謎の現象があった。
昨年の12月初めにカレンダーが読めなくなった。
そろそろ再来年(2017年)の予定を具体的にたてなければと思うのに、月ごとの時間的感覚は分かるのに月別で表示ざれていると頭の中で繋がらなくて困った。
なのでロール状に繋げたものを自分で作った。
私、どうしちゃったのだろう?と不安だった。
今はそんなことをしなくても大丈夫。

悪夢について
夢は、海馬・後頭葉・外側膝状体・橋で作られるらしい。
浅い眠りのレム睡眠中は脳が活発に働き、物語性があり登場人物のいるハッキリした夢を見ます。
脳幹という場所にある脳から体への指令を遮断するスイッチが働いているから体が動くことはありません。
このスイッチがあるおかげで、脳は、睡眠中も、記憶の整理など、効率的な学習を進めることができる。
レム睡眠中は脳波がまどろんだ状態にあり、眼球がものを見ているように動き、身体中の筋肉が弛緩した状態がある。
「レム睡眠行動障害」がある人は起こされると夢をハッキリ記憶している、追われる、戦うなどの不快な夢が増える、目覚めたときに身に覚えのないケガがあったり部屋が荒れるなどしているらしい。
脳幹部にある橋はレム睡眠の中枢のある場所であり、外側膝状体と後頭部の大脳皮質は、視覚情報の処理を行う場所なので
、橋が完全に壊れるとレム睡眠は消失するらしい。
レム睡眠中は眼球が動くけどフィッシャー症候群は眼球が動かせなくなるし、脳幹脳炎は橋が不具合を起こすから恐くて奇妙な夢を沢山見るんじゃないかと私は思う。脳幹ミオクローヌス(不随意運動)でレム睡眠中に勝手に体が動いてしまうのもあるかも。
もしかしたら起きているかもしれないけれど(目は開いていても)、視界は真っ暗だし夢か現実か分からない。
中には聞こえてくる音や声で混乱してしまう人もいるみたい。
昏睡でも聴覚と触覚の刺激は良くも悪くも現実へ誘うのは間違いないです。
意識状態について下記のサイトが分かりやすいです↓
https://www.kango-roo.com/sn/k/view/1595


大海原や湖の景色、あるいは洪水でおぼれかかった夢などは、尿意が原因になっていることが多いらしい。
三途の川が尿意からなのかと思うと…残念な感じですね。
熱が出てうなされぎみのときにはぎらぎら光る太陽の夢を見ることもあるらしい。
私は高熱が出ると何処までも続く海のようなシーツの上で揺られている夢を必ず見る。
喉が渇いているときは砂漠の、すべてが砂になってしまう夢を見ました。

そういえば映画の『エヴォリューション』は私が脳幹脳炎で昏睡状態の時に見た病院の中の夢のひとつに似ていた。
私は寝ている本体の私と足元から見ているもうひとりの私が居て。。。トイレに行きたくて動こうとしても全く体が動かない。
もう一人の私が居るからトイレも場所や廊下や階段や外の景色もわかる。暗くて寂しくて冷たい病院で渇いているようなのにどこか湿気を感じるような。

中には幻想的な夢もあって、これはあの世へ渡る三途の川みたいなものかと思った。
美しい里山でお米の妖精が一生懸命働き、神に祈り(お酒呑んで踊って騒いでいる)、風の音がし、(お米の妖精は小さいから雨粒にあたると死んじゃうから一斉に逃げる)やがて渇いた土に雨粒が落ち、水溜まりが出来て雨の落ちる音がリズムとなり、川になり、淵に立ちながら水は生命の源なのだなと改めて思った。氾濫して。。。神に祈り、美味しいお米が出来て、またお米の妖精が働いて呑んで踊って。。。この夢は人間界から迎えたお姫様(宮崎あおいに似ている)と音楽の神様の恋愛の夢の一部なのですが、やがて呪いのお米になっていく。。。私は夢の中で音楽を聴いたりとっても美味しいお米を食べて幸せな気持ちになったのに。。。キツネに騙されたみたいにお屋敷も明かりもどんどんなくなって、起きたら道の駅みたいなところで隅っこに捨てられてて体が動かなくて。。。
『千と千尋の神隠し』も『君の名は』やあの世みたいな物語ですよね。
幻想的で怖くて悲しくて、奇妙で夢の時間を冒険しているような。
でもよく考えたら苦しくはないけれど今までに見た夢にもそういう幻想シーンが出てきて、絵に残している。
因みに沢山の悪夢の中に爆笑問題が出てきたのがあるのですが、お金のない舞踏劇団みたいなところに入っていて(多分舞踏は不随意運動のせい)、半分外のような廃屋で段ボールを敷いた上に寝ていて(他にも同じように寝ている人がいる)、体が上手く動かずに落っこちそうになっている(回転性めまいのせい)のですが、爆笑問題の太田さんが「何にもしてあげられないから自分で治せ」みたいな死神みたいに冷たそうだけど心配しているような目で見られているのです。
不思議なのは同じ病気の人の悪夢にも爆笑問題が出てきたのですって!何で???

寝る前にイメージ訓練などをすることで、明晰夢を見る回数を増やすことができる。
明晰夢は不安障害や悪夢障害といった症状を和らげる療法として注目されている。明晰夢を見るときはそれが夢であることを自覚しているわけだが、不安の対象から距離を置くことによって、客観視することができるようになるようだ。
私は中学の頃から見た夢のノートを付けていてこれが明晰夢の訓練になっていたようで、怖い夢はほとんど見ないし、何度も同じ場所に行けるし、夢の中に町を建設し、大体の地図もある。(夢なので奇妙ですが)
けれど脳幹脳炎の間はなかなかコントロールが出来なくて苦しみました。
なんだか奇妙な世界で問題を解決してゆく冒険のような、不思議の国のアリスみたいでした。
でも明晰夢のおかげで自信があって、いくつもいくつも戦って自分を信じて乗り越えていた。自分を信じて戦って進みました。
面白い経験を沢山したと思っている。。。何のために?!!!

痛みについて
看護師さんから「凄く頭が痛そうで可哀想だった」と言われたけど覚えていない。
私は『痛み』は忘れるようにできているのを知っているので相当な痛さだったと思う。
私の子宮内膜症の痛みは(盲腸)のレベルを越しているらしく、のたうち回るような痛みと3日間位食事どころか水を飲んでも吐くから薬を飲めない、胃液を吐ききって血を吐く。
座薬も効かないし痛みが強すぎて痛み止めの注射も打てないので病院に行っても放置されるだけ。
腰痛なんかでギクッとなった時の激痛が何時間も続く感じで、視界が小刻みに揺れて『お願いいだから私よ気絶してくれ!』って心の中で叫んでいる。
痛みが出る前に鎮痛剤を飲まなくては駄目だし、頭痛もひどいから一年の半分くらいは薬を飲み続けている。
痛くなってからでは遅すぎる。
なるべく薬を飲みたくないからと思ってタイミングがズレたら自分も苦しいけれどいろんな人に迷惑をかけまくる。私が大丈夫ですと言っても見ている人たちが怖いのか何度も救急車を呼ばれてしまった。
そして毎月が恐怖ではなく、毎回忘れてしまうように人間が出来ていることを知った。
凄いのは私がベッドで吐いていても(何時吐いてもいいように袋を置いている)横でグーグー寝てしまえる旦那さんだ。

脳幹脳炎の不随意運動の様子を動画にアップしているのは流石に見かけない。
本人は見ていないので気になるけど家族は心配でそんな余裕はないし…見ていられないだろう。
人形みたいに動かない時は母と妹は私を見ながら死んでいる違う人だと思って私を探し回ったっていうし…。
何処か現実から目を背けているような気持ちでいる。
不随意運動があって足をバタバタ動かして何度もベッドの柵にぶつけている記憶が少しある。
意識が戻って来た時に足の親指の付け根が痛くて、その時にそういえばベッドの柵に何度もぶつけてたなと思ったのですが、リカバリールームでは柵をフエルトでカバーしていたのでそれより前の記憶になる。
自分は意識が戻っていても目が見えなくて視界が真っ暗なので夢か現実か分からなくなるし、他人から見ても人形みたいに眼は開いているけど眼球が動かないので起きているのか意識が戻っているのか分からなかったと思う。
話せなくても聴覚は大丈夫なので看護師さんの話は聞こえている。
自分の事を言われているのもちゃんとわかっている。
腰で固定されて拘束されているし、ミトンをしているからナースコールも押せないし、看護師さんも忙しいので滅多に来てくれない。人の気配がしたら声を発するも掃除の方で「私にはわからない」と言われる。
主人は会社が終わってからだと19時過から面会時間最終の20時までしかいないし、主人が他の人の面会を拒否していたので、朝か夜かもわからない暗闇の中でずっと独り悪夢と実感のない現実を行き来していた。

死に関して
正直に言うと死ぬ準備をしていた。
正確に言うといろんなことに区切りをつけていた時期で、たったひとつ未来に繋ぐ準備をしていたのは12月中旬に額を注文したことだった。
主人には半年くらい前から「幸せな人生だった、ありがとう」と何度も言ってきたし、妹に「私に何かあったら父と母をよろしく」と言った時には冗談も言って身体も普通に動いていたのに、その2時間後位に体が重くなった。
主人の冬期休暇に合わせるように意識を失った。死んでしまうのにちょうど良い時期だったのに。
病に付け入られたのか、自分で隙を作ったように思う。
自律神経系が悪いことは小学生の頃から分かっていたこと、この病気になるのは考えられないことではない。
病気をしたことで何か変わったことはあるか?と聞かれたら「死ぬことが怖くなった」と答える。
あのまま死んでいたらよかったのにと思ている。(死にたいとは思わない)
でも生きてしまった。
あれから一年、ゆっくり歩いて体調も戻ったのでそろそろ走り出すときかな。

写真はリハビリしていた公園
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何だか思ったことを勢いでダラダラ書いてしまった。
読み返すと全部消してしまいそうなので誤字脱字等お許しください!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
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by zakuro-ami | 2016-12-27 18:31 | ビッカースタッフ脳幹脳炎 | Comments(2)
Commented by at 2017-01-15 09:24 x
はじめまして。
一昨年夏に、脳幹脳炎になったものです。
当時、色々と検索したけどほとんど情報がなくて、今回久しぶりに検索したら 経験された方のブログが増えていてびっくりしました。
私はビッカースタッフではないようなんですか、何をもってそう判断されたのかわかりません。
私は呼吸もできなくなり、気管切開、人工呼吸器を経て三カ月でやっと退院。その後は訪問リハビリにきてもらっています。
ビッカースタッフではない脳幹脳炎と言われ難病申請もできず、医療費はずっと3割負担でしたが、昨年秋に障害者認定を受けました。

未だに顔面麻痺、手の痺れや麻痺、体幹の不安定さ、筋肉の異常な緊張があります。
ヨタヨタとしか歩けません。

ブログを読ませていただいて、一番共感したのが、あの時死んでいればよかった と頭をかすめること。今、別に死にたいわけでも自殺する気もないですが、今後 病気でまた辛い思いを繰り返すのは嫌ですしね。。

お互い、完治はしてませんが、生き延びた以上、それなりにゆるゆると頑張れるといいですね。

いきなり失礼しました。
Commented by zakuro-ami at 2017-01-28 22:27
はじめまして。
メッセージいただいてありがとうございます♪
あまりSNSを見ていなくて、気が付いたのが今日で、お返事が遅くなりごめんなさい。

ビッカースタッフ脳幹脳炎でないということは抗GQ1b抗体関連ではないけれど脳幹に影響のある脳炎ではないということなんでしょうかね?
入院中に調べた時には予後どのようになるのかブログを書いていらっしゃる方が一人しか見つけられなくて不安で、「少しでも役に立つなら書かなきゃ!」という使命感に駆られていたのですが、急にブログが増えて多分皆さん同じ思いなんじゃないかな?それかまさかこの病気が急激に増えたとか?

あ、夢さんのブログ読ませていただきましたよ!

実は私は複視があってふらふらしながら自分で難病申請に行ったので、医療費も負担が大きかったのですよ(横浜は申請した日以降から対応)。こういう事で動いてくれる人がいてくれればいいのですが…入院中も主人が30~40分位しか居られないので頼る人がいなくて一人でなんとかしなきゃ!って必死でした。病院も救急車で運ばれたのが脳外科で途中で神経内科のある病院に転院になったので負担が大きい。。。運ばれるなら両方ある大きい病院の方がありがたいですね。

一時期数年続けて身内の不幸があって、人が死んでいく経過を見ていて「生と死」に関しては理解は出来ていたのですが、夢さんの言う通り辛い思いを繰り返すのは嫌ですよね。。。多分次の方がもっともっと辛いと思われるから。

ほんと思うように体が動かなくて、以前と同じようにはなかなか戻らないけれど、お互いゆっくり頑張りましょうね!